東京ではきっと花見日和だったのだろう。ここ茨城ではどういう訳か、桜の樹がほとんど植えられていない。イメージ通り梅の都で、梅の時期には街全体から甘い香がする程なのだが、相手が桜だと驚くほどあっさりした付き合いとなる。どうしてなんだろう。
今日は茨城。家に籠って書き物をする。時折、休憩するため居間に行って、ゲームに没頭している娘と義母を眺める。私は人の背中ならまじまじと眺めることが出来る。これが目のついている側だと、途端に観察が難しくなるのが妙だ。目も背中も同じで、変わったところはないだろうに。
庭を眺めると、春になって初めての蝶を見かけた。蝶は弱々しい軌跡を辿って、左から右へとよたよた進む。明日は肌寒くなる予報が出ているというのに、あんな力で生きられるだろうか。
今日は茨城。家に籠って書き物をする。時折、休憩するため居間に行って、ゲームに没頭している娘と義母を眺める。私は人の背中ならまじまじと眺めることが出来る。これが目のついている側だと、途端に観察が難しくなるのが妙だ。目も背中も同じで、変わったところはないだろうに。
庭を眺めると、春になって初めての蝶を見かけた。蝶は弱々しい軌跡を辿って、左から右へとよたよた進む。明日は肌寒くなる予報が出ているというのに、あんな力で生きられるだろうか。
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今日は家族と春休み。I駅にあるナンジャタウンという屋内遊興施設に行く。狭くて薄暗い路地に沢山のアトラクションが並んでいて、園内を巡って妖怪を倒したり、秘密の合い言葉を探し回ったりした。一ヶ月ほど前から、仕事の見通しがついたら三人で遊びに行こうと話していたので、今日それが実現して嬉しい。仕事の見通しがついた訳でもないのに、喜びの先払いをしてもらったようで、この後に借りを返せるか少し不安になる。
最近は疲れた顔ばかり見せていたせいか、相棒は私にリラクゼーションの施術料をプレゼントしてくれるという。悪いからいいよというと、もしかしたら生涯最後かも知れないと言う。この遊びが終わったら心中でもする気なのだろうか。ありがたく30分のドイツ式マッサージを施術してもらった。何もかもがもったいないという気がした。やはり分不相応の贅沢だったと思いつつ、施術ベッドの上でちょっと涙ぐんだ。
最近は疲れた顔ばかり見せていたせいか、相棒は私にリラクゼーションの施術料をプレゼントしてくれるという。悪いからいいよというと、もしかしたら生涯最後かも知れないと言う。この遊びが終わったら心中でもする気なのだろうか。ありがたく30分のドイツ式マッサージを施術してもらった。何もかもがもったいないという気がした。やはり分不相応の贅沢だったと思いつつ、施術ベッドの上でちょっと涙ぐんだ。
朝、娘に家の留守番をさせて、電車を乗り継いでH町駅に行く。親しい友人と煙草を吸いながら、細々とした話を聞いた。焦ったり、何かを分析してはいけないと思うのに、彼女を変えたくなる。自分の解釈で彼女の世界を改善したくなる。それは本当に彼女を大切にしていることにはならないのだ。そんなに物事が一直線に良くなっていく訳がない。
なにかの過去があり、それが不動のものになっているかというと、それはそうではないと思う。過去は常に現在の態度によって更新されていく。その過去が何であったかを規定するのは、結局は一番最後にとる態度でしかない。
今日は彼女を励ましに行ったようでいて、彼女と苦痛を共有しに行ったのではなく、単に彼女の苦痛を彼女に投げ返してしまったのではないか。
なにかの過去があり、それが不動のものになっているかというと、それはそうではないと思う。過去は常に現在の態度によって更新されていく。その過去が何であったかを規定するのは、結局は一番最後にとる態度でしかない。
今日は彼女を励ましに行ったようでいて、彼女と苦痛を共有しに行ったのではなく、単に彼女の苦痛を彼女に投げ返してしまったのではないか。