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人間になればよかった...
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朝起きて、発作的に涙がでた。解消出来ない実家との関係が、自分の核と密接に関わっている。33歳になっても私はあの家の子供のままらしい。この宿題は、虫喰いだらけの書類に『未解決』の判を押して、冷静になるまで放っておくことにした。
小雨の一日。学校新聞が刷り上がる日だった。真夏の9月あたりから取材活動をしていたので、今日で終わりと思うとそれなりに感慨深い。他校のPTAに新聞を配送する最後の仕事をする為に、小学校へ出向いた。
会議室へ行くと、自分達の作った学校新聞が、束になって置かれていた。二学期班のメンバー一同で輪を作って、完成した新聞を手にとって眺めた。
PTA活動に参加したことは、結果的にとても良い有意義な機会になった。真っ当ではない映画人の世界には凄みがあるけれど、お母さん達から聞けた会話の内容は、また違った意味で正論だった。今の世間を肌で知る貴重な機会だったように思う。
夕方、娘の帰りが遅いので心配する。薄暗くなってから、走って元気に戻ってきた。居残りの友達を待っていたという。宿題しなさい、と言いながらランドセルをあけると、刷りたての学校新聞が中から出てきた。
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父の誕生日。今日届くように日本酒を贈ったら、母から御礼の電話が来た。母に電話をかけろ、と言いつつ、自分で話す気はない父の横顔が受話器の向こうに感じられる。波風が立たないよう早々に切った。自分はまだ完全には寂しさをぬぐえないからだ。父の伏し目が私の最初の出発点だったように思う。私は私の事情で生きている。父には来年もお酒を贈ろう。
水曜、ストレッチ。B先生の手順を覚えてきたので、考えなくても次の動作に入れるようになった。まだ完全には出来ないけれど、身体の芯があたたまる感覚が気持いい。
力を入れて生きればいいのか、力を抜いて生きればいいのか、迷いは次第に深まっている。越えるとは具体的に、その事について具体的に考えていくという作業である。自分の方法で。瑣事でいいのだ、この瑣事は私の人生の全てなのだから。買い物袋にねぎをぶら下げて、ぼうっとして歩く。マンションの階段を一歩ずつ上がる。上り階段の先に待っているのは回帰なんだと思ってみる。自分の外に出られる訳じゃない。自分が来た場所を探しに、らせんを上っていく。本来の力を出す、というのは不思議な言葉だと思う。
いとこのMちゃんが受験に合格したと連絡をもらう。彼女は家でまた泣いてしまっただろうか。やったねと思い、受話器を置いてニヤリとした。新生活の準備は年が明けてから始めるという。送り出す叔母さんの声は、若干不安そうだった。
今日は火曜。習慣となりかけているストレッチ教室へ。こつこつと訓練を続けていると、微差が励みになる。頭脳の方は成果が見えにくいけれど、身体は本当に粘土をこねるように造っていくものだ。近道はないらしい。肯定の声はか細い。否定の言葉には終わりがないから、無限の後退になってしまう。
ここにいるこの小さな場所を絶対に分析してはいけない。解らない曖昧な場所に意図的に留まり続ける事。
おぬまさんが何か言いたそうに見ている。珍しく二人で出かけた。電車を乗り継いで、国立新美術館に展示中のフェルメールを観に行く。名画『牛乳を注ぐ女』が日本初公開ということで、年配のお客さんが沢山来ていた。ロビーもフロアも混雑して、さすがの人気。
展示会は17世紀のオランダ風俗画展と題されて、庶民的な生活場面を描いた画が多かった。縫い物したり、酒場で酔っぱらったりしている画など。お客さんの流れをゆっくりと進むと、ビデオ映像が現れた。予告編のように何度も構図の解説文が出てくる。フェルメール様ご登場、という感じ。他の画がちょっと可哀想な気もするんだけど。
藍色の壁の中央で、画が、沢山の人の頭に囲まれていた。色の美しさは遠くからでも判った。近付いていくと、画は静かに光を放っている。足を止めてはいけないので、ゆっくりゆっくり歩く。写真とはまるで違う。驚く配色だ。見られてよかったと心でつぶやく。完璧で、それでいて人を威圧するところがない。なんて静かで当たり前の世界なんだろう。本当の空気なんだ。
生涯に30点余りしか作品を残さなかった寡作の画家だから、どの画も気が遠くなる程時間をかけて描かれたものだろう。ここまで美しいとは思っていなかった。この画を見られただけでも、来てよかったと心から思った。
運転していたら、急に、意識の置く場所に問題があるのではと思い至った。今までは視界が流れていると感じていたのだが、今日は道路の方に心の照準を当てた。すると、驚くほど視界が安定して、いきなり窓外が広くなった。対向車をよけたくなったり、道路が狭いなどと感じていたのは、主観的に過ぎたからなのだ。道路は車を行き交わせるのに丁度いい幅で出来ている。どんなに細くても、通れる。ハンドル操作やスピードの増減は自らで調節可能なのだから、別段危ないことはない。免許を取ってからこんな当たり前のことが腑に落ちるまで、五年もかかった計算になる。あんこの仲間としては、ましなペースで気がついたと思う。下手すれば一生気付かない可能性もあった訳だし。
車を降りて街を歩いていても、街に心の照準を当てれば、街も別段、危ないことはない。調節可能なハンドルを頼りに、楽しんで運転して、それ以外の要素は街に任せる。
昼過ぎに東京に戻る。夜は軽い頭痛。温かいコーヒーを飲んだら、よくなった。カフェインの摂り過ぎなのかも知れない。
畑のさつま芋を収穫することにする。霜に枯れた葉だらけの畑を掘ってみると、化け物のような巨大な芋が半分埋まったまま頭を出している。娘は芋を指差して、げらげら笑っている。いくらなんでも育ち過ぎだ。曙か、小錦か、そういう芋が全部で30本ほどあった。
おぬまお母さんと枯葉を集めて火をたいた。茨城は農家が多いせいか、田んぼ、畑、個人の庭、あらゆる場所でたき火をする風景を頻繁に見かける。故郷の北海道では風が強過ぎて、火は滅多に扱えなかった。焼き芋は子供心をおおいにそそるものがあり、ぜひやってみたいものの一つだった。ここに来てから、あこがれの焼き芋を作る楽しさを知った。
70歳の義母と、8歳の娘、すべては完璧なバランスで、表面的には波も立たないように静かに過ぎていく。静かな記憶を貯えるように、作業の合間に魅入ってしまう。この記憶が将来どれほど役に立つか知れない。どんなに苦しい日が来ても、この静けさを覚えていたい。
二時間後、灰の山から煙が消えた。おぬまお母さんが、もういい頃だろうと言う。焼けた芋を割ってみると、ふっくらと芯まで火が通っていた。
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