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人間になればよかった...
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今日辺りは大分寒くなってきた。セーターどこにしまったかなあと思い、収納棚の一番奥の整理をした。段ボールをあけると、おお、宝の山。去年の洋服達が下手な畳み方のまま出番を待っていた。引っ張り出すと、去年着ていた筈の服なのに持っていた事を忘れている。プレゼントをもらったみたいな嬉しい気分だ。別に自分のだけど。
そのセーターを着て、近所のストレッチ教室へ歩いて行った。道の途中の空き地には先週まで沢山の蝶が飛んでいたのに、今日は半分以下の数に減っていた。生き残った蝶達はまだ楽しそうに飛んでいる。
レッスンに来ていた生徒さんは5人だった。B先生の指導で身体をゆっくりとほぐしていく。情熱とはもしかして血のことなのだろうか。体温が上がっていくと、気も強くなっていく気がする。続けていったら、書く事が好きなこの性格も変わるに違いない。文章の為にバレエを辞める日も来るのだろうか?
来月からバレエレッスンも予約制で出来ますとB先生が言う。参加しようか迷うが、これ以上バレエ浸かりになったら、趣味の範囲を越えてしまうだろう。体温上がりすぎなのか?
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前髪が目にかかる。髪の毛を自分で切れたら楽だなあ、と思う。健康体の現在、身体の手入れでどうしても専門家の手を借りなければならない部位は、髪だけだ。顔の印象を大きく左右するにもかかわらず、全面降伏して身を預けるのは、なかなかの賭けではないだろうか。もし別人の雰囲気に仕上がった場合、鬱々とした暮らしが一ヶ月は続く訳だから。
電車を乗り継いでI駅の美容院へ行く。いつもカットをお願いしていた店長さんは、先月交通事故に遇っていたらしい。幸い命に別状はないそうだが、黄金の右手を粉砕骨折したと聞いた。この人のカットする手つきはいつも素晴らしく、鋏の動きを見ていても優雅な感じがした。今日は不在だったが、仕事好きな人のようだから、早く復帰されるといいなと影ながら願うばかりだ。
替わりにカットしてくれたのは、いつもシャンプーをしてもらうKさんで、髪を切る許可が出たのが10月中旬という。からっと明るいお兄さんで、格闘技好きというだけあって、マッサージも痛いし、さくさくと仕事をする。美容院は髪を切って貰いながら気を遣うという、リラックス不可能な場所なのだが、そういう私にとっては相性がいい人だ。ただ、11月上旬の今日だと何人切ったのだろう……などと一抹の不安を感じていると、普段よりずっと真面目に、カチカチと切ってくれた。どうですかと言われて鏡を見ると、きちんと感じよく出来ていた。失礼な事を考えて悪かったなと思った。感謝の念で別れたあと、帰り道は来る時よりずっと足が軽くなった気がした。
上野駅に着くと、ガラスの箱に入れられた巨大パンダがいつも出迎えてくれる。パンダってあんなに大きい生き物だったっけ?目をそらした場所に、崎陽軒の焼売が売っている。いつか一折買ってみようか、と思いつつ、この八年間、ただの一度も実行した事がない。
自宅に向かう道は、山の手線のゆるやかなカーブ。有楽町線の真暗な穴の奥の奥。階段につぐ階段。のんびりした公園通り。自宅に着くとおぬまさんは留守だった。娘と帰りを待つが、音沙汰なし。
バレエの自主練習をしていたら、深夜にチャイム音。新聞勧誘員の若そうな声が、半ば泣きつくように「研修期間なんですけど、新聞お願いできませんか。どうにかなりませんか」とドア越しに懇願してきた。お断りしたが、必死だ。続く押し問答をこちらから打ち切った。最悪の場面だ。どんな日でも越えていかなければいけない。ああ、酷い、とお互いに呟く事しか他に出来ることもない。その場から立ち上がり、煙草を続け様にバカバカと吸った。背中を伸ばして、指先を遠くに向ける。目線は遙か彼方へ。この現実を忘れずに。
本日はよき日。最良の日。なにも変りはないけれど、最良の日なり。
えひめAI、人さまのお役に立ったなり。おぬまお母さんが、お風呂に入れていたら、肌の調子が良くなった、と我に伝えり。嬉しくて嬉しくて、得意満面なり。
柚子の木、今年も大豊作なり。八百屋で買えば一つ百二十円、それが枝にたわわに実る様、長者になった心持ち。笑いが止まらぬなり。
庭の草刈り、半日仕事でよくよく進みて、気分のよいことこの上なし。草の奴らを片っ端から成敗して、奇麗さっぱり片づいたなり。床屋の刈った頭髪の如し。
本日はよき日。最良の日。なにも変わりなし。なにも変わりなしは、優し。ありがたき天の恩恵なり。なに一つ変わりなき故、最良の日と記せり。
今日は小学校の役員の仕事。学校の敷地内にある和室の掃除に行く。10人程のお母さん達と畳を拭いたり、窓を磨いたりした。
別になにか失態をやらかした訳ではないけれど、自分はある程度、常識的ではない考え方の癖を持っている。健康で常識的なお母さんにとって馴染み合わないものがあるらしい。なんとなく居心地が悪いという相手のセンサーを感知した時、自分は、ある種の自嘲とあきらめを感じる。
他人の瞳を見返すと、瞳はまばたきなどしながら、よそ見をする。私がよそ見をすると、瞳はカメラのようにこちらを追う。それに慣れる事が出来なくて、長いこと人の目を見ないで会話するのが癖だった。自分の推理が当たっているか外れているかは別にしても、他人の瞳はなにかの通信機のように、ある種の夢を送ってきたから。私は常に人の声だけに頼っていた。
瞳は見ても失礼にはあたらないということ。慣れるまで何十年も時間がかかった。今だって礼儀上そうしているが、正直あまり得意ではない。わたしは瞳で話をする訓練があまりに少なかったので、今でも瞳の言葉については、誤読を繰り返しているに違いない。もっと練習しようと、手元の畳ばかり見ていずに、お母さんの顔を見て思うのだった。
「二郎」という名前のラーメン屋に行った。おぬまさんが話題にするようになり、「二郎が」「二郎がとにかく」「二郎に行ったらこんな事が」と最近頻繁に言うので、聞くともなしに聞いていた。かなりの有名店で本店は三田にあるそうだけど、お客さんの偏愛ぶりが凄く、二郎を食べるということは宇宙と出会う事であり、「あれはラーメンではない。二郎という食べ物だ」という有名なフレーズまであるそうだ。
小雨がぱらつく中、数ある店舗の中でライトな味で評判のI駅東口店におぬまさんに説得されて同伴した。お昼をかなり過ぎていたけれど、まだ長い行列が続いていた。当然、全員が体格のいい男性な訳で、周囲には異様な空気が渦巻いている。なぜ私をここに連れてくるのだ、おぬまさんよ……。吉野屋の牛丼を食べる以上の敷居の高さだ。店内に入り食券を買うのだが、カウンターを横目で見ると、物凄い山盛りのラーメンがすーっと運ばれてくる。漫画の実写版みたい。何も判らないので、おぬまさんの勧めのままに「麺は半分、トッピングはなしで」と頼むと、まもなく普通の量でラーメンが出てきた。
味は美味しいといえば美味しい。半分で普通だから、普通で頼むと倍か。麺増しで頼むとどうなるんだろう。印象を語ろうとしても意味がなく、たぶんここにあるものは、全てが二郎なんだろう。ラーメンは笑ってしまう程山盛りに乗っていて、というか乗りきれていないのだけど、皆ストイックに黙々と箸を動かしている。男性の胸ときめく要素が凝縮されているといったらいいだろうか。
亜流を含めて80店以上はあるらしいので、どこまでを二郎体験と呼んでいいかには諸説あるらしい。普通に食べきって帰ってきたが、山登りに例えると、いきなり山頂近く8合目まで車で行ってきて、ハイキング気分で景色を見ながら「うーん、山登りってハードだけど、気持いいかもね」と言うようなもので、もしかして二郎を冒涜しているかも知れない。とにかく興味深い世界だった。再び敷居をまたぐ勇気はもう出ないかも。
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