午前中曇り空の予報だった筈が、かなり日差しが明るくなる。観葉植物の鉢植えに霧をかけて日向に並べていくと、良い光で植物たちも快適そうだ。小さな鉢を五つ置くと、密林のジャングルのように愛らしい。
文庫本「青春ピカソ」(岡本太郎著)を読み返しながら、記録映画「ミステリアスピカソ」(1956年制作)を観た。パンツ姿の老パブロ・ピカソが、惜しげもなく自分の制作の秘密をさらけ出して、すいすいすいすい書いている。映画上で完成された素晴らしい作品群は、一枚残らず破棄されたそうだ。勿論作品も凄いけれど、本人の在り方が作品よりすさまじい。この人には自分の筆跡を愛おしむ態度がひと欠片もない。対象は徹底的に破壊され尽くして、見ていても残酷な気さえする。確かにこれは天才のみに許された仕事で、普通の人の精神では耐えられる訳がない、とこの人が本物たる所以が腑に落ちた。
午後は、映画の印象を胸に浴びて、家事をしていても光を受けたように力が出てきた。何かしたくなって、机の読みかけの単行本数冊を集めて、平行して読んでみた。毎日少しずつ、卑下せずにやっていこう。植物のように外から光をもらっていこう。
文庫本「青春ピカソ」(岡本太郎著)を読み返しながら、記録映画「ミステリアスピカソ」(1956年制作)を観た。パンツ姿の老パブロ・ピカソが、惜しげもなく自分の制作の秘密をさらけ出して、すいすいすいすい書いている。映画上で完成された素晴らしい作品群は、一枚残らず破棄されたそうだ。勿論作品も凄いけれど、本人の在り方が作品よりすさまじい。この人には自分の筆跡を愛おしむ態度がひと欠片もない。対象は徹底的に破壊され尽くして、見ていても残酷な気さえする。確かにこれは天才のみに許された仕事で、普通の人の精神では耐えられる訳がない、とこの人が本物たる所以が腑に落ちた。
午後は、映画の印象を胸に浴びて、家事をしていても光を受けたように力が出てきた。何かしたくなって、机の読みかけの単行本数冊を集めて、平行して読んでみた。毎日少しずつ、卑下せずにやっていこう。植物のように外から光をもらっていこう。
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読みかけの本を一冊断念した。何かを知れば知るほど、知る事は案外不便なことだと思えてきた。もうそれを捨ててしまうことは出来ないから。この先は自分のあんこ頭にふさわしいものを、丁寧に選んで暮らして行けたらと願う。絶望を記した読書の時は、量を制限しよう。自分が人を信頼して、明るく暮らす為の知識は簡単に失われる。信頼は、誤解なのかも知れないからだ。真実ばかりを食べていたら、私は簡単におかしくなってしまう。過去に無秩序に取り込まれた情報は、もう自分の許容量を超えている事ははっきりした。
曇天。日曜日の茨城は静か。今日は親メダカの水槽に、若者になった子メダカを2匹だけ入れてみた。前回、親が子を食べたので、いざとなったら子を救いだせるよう、網を用意して状況を見つめた。親メダカは一瞬、まじまじと我が子を眺めた後、ヒレで抱き合った。感動の再会だった。親は攻撃しなかった。子メダカは下の方を泳いでいる。
昼過ぎに特急電車に乗って東京へ戻る。ホームでおぬまお母さんが手を振っている。この生活がなるべく長く続けられるように。帰り道の駅の階段を上がると、雨がひとしきり降ってきた。娘と手をつなぐと、ぷにっと温かかった。ただこれだけでも、雨に感謝の気持が湧くというものだ。二人で走って歩道を渡ると、ちょうど青信号ばかりで嬉しかった。
曇天。日曜日の茨城は静か。今日は親メダカの水槽に、若者になった子メダカを2匹だけ入れてみた。前回、親が子を食べたので、いざとなったら子を救いだせるよう、網を用意して状況を見つめた。親メダカは一瞬、まじまじと我が子を眺めた後、ヒレで抱き合った。感動の再会だった。親は攻撃しなかった。子メダカは下の方を泳いでいる。
昼過ぎに特急電車に乗って東京へ戻る。ホームでおぬまお母さんが手を振っている。この生活がなるべく長く続けられるように。帰り道の駅の階段を上がると、雨がひとしきり降ってきた。娘と手をつなぐと、ぷにっと温かかった。ただこれだけでも、雨に感謝の気持が湧くというものだ。二人で走って歩道を渡ると、ちょうど青信号ばかりで嬉しかった。
一日中、外は冷たい小雨。せっかくの週末なのに草刈りが出来なくて、時間が惜しいなと思う。来週になるまで、つかの間の眠りをむさぼるといい、草達よ……。今日は休息と割り切ることにした。
久しぶりにTVゲームでもと、壊れかけの初代プレステーションを繋いだら、動いた。古いソフトで遊ぶ。敵と銃撃戦をしたり、爆弾を仕掛けたりする隣で、娘が声援を送ってくる。「ママ、やっつけろ!」もしかして、娘の精神に悪い影響を及ぼしてしまうのだろうか。自分が子供の頃はファミコン全盛期で、毎日テレビの前に座っていた。視力は下がって眼鏡だった。自分の頭は悪い価値観で充たされていた訳だ。でも幸福だった。優れたゲームに対する恩というか敬意は、大人になった今も変らず持っている。顔も知らないゲームクリエイター達には御礼が言いたい。
自分は直の人間関係より、ジャンクな創作物(テレビ、漫画、ゲーム)で感動を養われた側面はあると思う。高尚な小説や映画とも接したけれど、子供の時に沢山見聞きしたものの影響は計り知れない。架空の世界はいつも、ちょうどいい難しさで出来ていた。……
気がつくと、ゲームはエンディングを迎えていた。主人公はアラスカの広野にスノーモービルで旅立っていった。そして、夕方だった。面白かったけれど、実際の自分は、モービルに置いていかれて、テレビの前にひとり。
久しぶりにTVゲームでもと、壊れかけの初代プレステーションを繋いだら、動いた。古いソフトで遊ぶ。敵と銃撃戦をしたり、爆弾を仕掛けたりする隣で、娘が声援を送ってくる。「ママ、やっつけろ!」もしかして、娘の精神に悪い影響を及ぼしてしまうのだろうか。自分が子供の頃はファミコン全盛期で、毎日テレビの前に座っていた。視力は下がって眼鏡だった。自分の頭は悪い価値観で充たされていた訳だ。でも幸福だった。優れたゲームに対する恩というか敬意は、大人になった今も変らず持っている。顔も知らないゲームクリエイター達には御礼が言いたい。
自分は直の人間関係より、ジャンクな創作物(テレビ、漫画、ゲーム)で感動を養われた側面はあると思う。高尚な小説や映画とも接したけれど、子供の時に沢山見聞きしたものの影響は計り知れない。架空の世界はいつも、ちょうどいい難しさで出来ていた。……
気がつくと、ゲームはエンディングを迎えていた。主人公はアラスカの広野にスノーモービルで旅立っていった。そして、夕方だった。面白かったけれど、実際の自分は、モービルに置いていかれて、テレビの前にひとり。
朝、寝ぼけた頭で小学校に向かう。他の役員さんと和室に集まって、座ぶとんにカバーを付けるお仕事をする。数日前に参加した和室清掃の続きだ。集団と心を合わせて、落ち着いて仕事をしなければと思う。目の前にある座ぶとんを睨んだ。手を高速で動かす。丁寧にかつ素早く……前向きに取り組むと、全然疲れない事が判明した。「疲労の8割は感情から来る」と以前本で読んだけれど、その通りだと思う。そうだ、なんでも楽しんでやればいいんだ。リラックス、リラックス。今日は上手に参加出来た。
楽しんでやれば、今までの二倍は身体が動くようになるだろう。悟りを得たかのような気持で、気分高揚して帰宅。家事仕事を続け様にやったところ、やはり感情から来るだけではないらしく、実際疲れていた。夕方に結局、ぐうぐう寝た。安定した心が欲しいところだ。
夜、いつも通り茨城に出発。追加分のえひめAIを持っていくと喜ばれた。おぬまお母さんは、お風呂の床が本当につるつるになってきた、と真顔で言う。おぬま弟さんのお嫁さんにもお分けしたいと言う。意外に活躍している、謎の水。どんどん作って、また持ってくる約束をした。
楽しんでやれば、今までの二倍は身体が動くようになるだろう。悟りを得たかのような気持で、気分高揚して帰宅。家事仕事を続け様にやったところ、やはり感情から来るだけではないらしく、実際疲れていた。夕方に結局、ぐうぐう寝た。安定した心が欲しいところだ。
夜、いつも通り茨城に出発。追加分のえひめAIを持っていくと喜ばれた。おぬまお母さんは、お風呂の床が本当につるつるになってきた、と真顔で言う。おぬま弟さんのお嫁さんにもお分けしたいと言う。意外に活躍している、謎の水。どんどん作って、また持ってくる約束をした。
ぼーっとした精神状態。電車を乗り継いでI駅のバレエ教室に行く。こちらのS先生の指導は、肉体的にきっちりと運動するので、きつい。汗がぽたぽた落ちる。足がもっと曲がるといいな。帰り道は、ふらふらになっている。道路に布団をしいて眠りたい。
美しい時間は確かにあるのだと思う。ただ私の場合は、それが日常の暮らしとまるで繋がらないのが問題なのだ。非日常として経験される美が、日常を暮らすにあたって迷いを深くする。その瞬間以外を膨大な待ち時間のように思ってしまう。感動そのものが、元々、贅沢品なのか、私にはまだ判らない。
どのような心がけで暮らしたらいいのだろう。末広がりの日常?世界が広くて気持ちいいと思える子供のような生き方?……余計に迷っていくような気がする。
夜は、家族三人で外出。こじんまりとした店でラーメンを食べた。店の人がコップの水をやたらに持ってきてくれ、テーブルの上に8つも並んだ。不思議な店だった。
美しい時間は確かにあるのだと思う。ただ私の場合は、それが日常の暮らしとまるで繋がらないのが問題なのだ。非日常として経験される美が、日常を暮らすにあたって迷いを深くする。その瞬間以外を膨大な待ち時間のように思ってしまう。感動そのものが、元々、贅沢品なのか、私にはまだ判らない。
どのような心がけで暮らしたらいいのだろう。末広がりの日常?世界が広くて気持ちいいと思える子供のような生き方?……余計に迷っていくような気がする。
夜は、家族三人で外出。こじんまりとした店でラーメンを食べた。店の人がコップの水をやたらに持ってきてくれ、テーブルの上に8つも並んだ。不思議な店だった。