忍者ブログ
人間になればよかった...
[117] [118] [119] [120] [121] [122] [123] [124] [125] [126] [127]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

おぬま妹さん家族は、夜の10時に大阪に帰っていった。ちびっこ達がいなくなった家の中は急に静まり返って、もう何の音もしない。
悔いなし。はたらいた一日。口もきけない程疲れて、気がゆるむと寝ている。体力の残量がない。まぶたを洗濯ばさみで止めて日記をつける。日記の難しいところは、自分の気力を一定量残しておかないと、深夜になって完全に自分の時間に戻っても、もうすでに手遅れになってしまうことだ。音もなく色もない字の世界は、自分が無色透明にならないと、字が走って逃げる。書くべき瞬間を逃がしてしまう。逃がした時は、網でやみくもにすくうしかないのだが、さらっても字が出てこない、という結果になる。魚をとるのと似た作業である。いる場所を捜し、よい道具で、正確に無心になって水の下をさらう。自分自身が臭気やアクにまみれた人間であることと、無色透明になろうとして水を見つめる努力とは、全然別個の話である。
静けさにまかせて、何も考えずに指を動かしている。書くべき瞬間に書かないと、字が現れないのはわかっている。だから、今指を動かしているこの運動は、私の未練だ。今夜もタイムリミットだ。
PR
冗談もいい加減にしてくれと言いたくなる程暑い。太陽は冗談だよ、と笑いながら照りつけてくる。夏の暴力だ。
燃え上がるような気温の中で、バーベキューパーティーをする。おぬま家総勢10人で、海沿いのO市へ新鮮な海鮮を買いに行く。魚市場では押しの強い人達が威勢のいい声で売り物を宣伝している。カキ。いか。ほたて。はまぐり。磯の匂いにへき易した子供達は、日陰でかき氷を食べながら、大人の買い物が早く終わらないか催促する。
帰ってから火おこしを始める。備長炭は固くて火がつかない。草を焼き殺す道具のガスバーナーをごうごうと炭にあてると、火はみるみる勢いづいて、パチパチと気持良い音がしてきた。
この日の為におぬまお母さんは半年も前から準備をしてきた。アウトドアグッズを掃除し、蚊帳を買い、ランタンを買った。おぬま妹さんの家族は明日大阪に帰る。つまりこれは恒例のお別れパーティーなので、お母さんはいつも全力でこの企画に取り組むのだ。
春にお母さんと相談して植えたとうもろこしは、今日この日にめでたく収穫された。お母さんはちびっこ達を庭に呼んで、ぱきん、と惜し気もなく取らせた。
海鮮が次々焼けて、はまぐりも口をあけて降参する。子供達は喜んで食べている。大人達は缶ビール片手に他愛もない話をする。夕方の風が熱をさましていく。休憩に焼きもろこしを食べてみると、見た目は売り物には及ばないが、味はたいへんおいしかった。
……パーティーは深夜11時に終了。お母さんはさっきからずっと目をつむったまま机の前で休憩している。子供たちは布団の上でそれぞれの姿勢をとって眠っている。…今年も色々な事を一緒にした。元気で暮らして欲しいと願う。
故郷はもう忘れなくてはならない。私は茨城出身の人と結婚して同じお墓に入るのだから、土地の流儀に標準を合わせるのが本当だろう。自分は贅沢だ。生れただけで、愛され育てられる「当然の権利」があると信じ込んでいたし、教育、仕事、恋愛、結婚、育児、どれもが世界を揺るがすほどの大変な難事のように嘆いてきた。生きることに口が肥えているのだ。快楽や心地よさ、思い通りに進行する事に慣れきっているのだ。
我慢は美徳ではないどころか、悪徳となってからすでに久しい。ストレスという言葉を知った瞬間から、私の中にストレスが生れ育ったのである。くいしばる歯を持っていないのである。自分の生死に関心を持ちすぎている。時間を無駄に消耗することを極度に怖れている。
祖父達が生きていた頃の時代は、食べる事がじかに生きる事であったのだろう。昔の物語はいつも残酷だ。私は、同世代の衰弱や退屈、自滅していく優しい者達の物語しか持っていないけれど、どうして世代を越えて繋がる事など出来るだろう。
炎天下、容赦なし。すべてを枯らしていくような熱。
身体の内側にまだ冷気が残っている。30度を越える暑さでもほとんど汗が出ない。年齢を重ねるごとに、環境に順応するスピードが遅くなっていくようだ。数日後に疲労に追いつかれるのだろう。
今日はお盆。紫の毛がふさふさした掃除用具で仏壇を掃除し、提灯を組み立てて一日を過ごす。提灯は手順を間違えると、なかなか完成しない。箱から出したり戻したり、組み立ててはバラして、一人あれやこれやと悩む。
こういう数々の季節の儀式を、私は完全にマスターしていない。次世代に繋いでいく事は出来ないかも知れない。長い連鎖だったろうに、最後の世代になるのは厭だなと、ふと思う。
夕方、紙でできた手持ちの提灯を持って外に出る。提灯に火をつけて、家族全員で行列を作り、門の外へぞろぞろ歩いていく。この火を目印に、御先祖様が各自の家にお戻りになるのだそうだ。門まで来たら、提灯を持ったままUターンして、そのあと家の仏壇にお線香をあげて、おしまい。私の知らなかった習慣である。
茨城の歴史はたいへん古いから、せいぜい120年位しかない北海道の歴史から比べると、随分と重みに差があると思う。少しずつでも覚えていくしかないとは思うが、何人になりたいのだろう。故郷を身体から追い出したいのか。この先、何を目印にして進んだらいいのだろうか。
東京のクーラーのきいた部屋で目が覚めて、『しまった!日記を書くの忘れて寝ちゃった!』と布団から立ち上がる。寝ぼけ頭で周りを見回してから、そういえば書いてから寝たんだ…と思い出す。三本指を始めてからこのしょうもない夢を何度見たことだろう。ほとんど強迫観念だ。
毎日更新の甲斐もなく、自分の歩みは遅々として代わり映えしない。北海道から帰ってきても、増えたのは体脂肪だけというのではあまりに寂しい。登場人物が一体どんな役目を果たしているか、この喜びや哀しみが一貫した物語を構成するように、一点を結ぶようにちゃんと波を上下させているか、今の自分には判る筈もない。散らかしたような物語で、おしまいも着かずに終わっていく可能性が大きい。現実の人生は物語ではないのかも知れない。現実の人生は肝心の主題がないし、人物が多過ぎる。問いと答えの連鎖は、自分の好きなイメージのひとつだ。だけど、実際あるのは、ただ指向だけのようだ。問いも解答も不意に自分以外の場所から現れる気がしてならない。
北海道と東京を比べっこする一日である。部屋を掃除して、洗濯物をじゃぶじゃぶ洗う。洗濯物が実によく乾く。山のようにあった服をたたんでしまうのが、たいへん気分がいい。
夕方、茨城へ出発。どこでもドアをあけると、自分の田舎とは違うあたたかい風が吹いていた。昨日まで北海道にいた事が信じられない。
緑の代わり映えのしない風景が、延々と飽きるほど続く。娘は声を出さずに泣いている。一年経ったらまた会えるよと言ったら、なにも言わずにこくんと頷いた。
父母が空港まで送ってくれる。私と娘は後部座席で草をはむ牛や、ロールケーキのような巨大な牧草の玉を眺める。
根室中標津空港は小さな空港で、東京便は一往復しかない。出発時間まで食堂で時間をつぶす。母は北海道名物のいも団子を頼み、父は運転で酒が飲めないので仕方なくオレンジジュースを頼んでいる。娘は牛乳を飲んでみたいとせがむ。さっき通りかかった時に牛を見たせいだ。
私が静かにコーヒーを飲んでいると、父はいつもするように、居心地の悪そうな、困ったような顔でこっちを見ないようにしながらジュースを飲んでいる。私と父は、長年そういう関係だ。
オレはもしあんたたちに万一の事が起きても、絶対に東京なんか行かないから、覚えといてけれや、と父が誰に言うともなしに言う。身体が丈夫なら私は東京旅行だってしたいよ、と乗り気な母に対し、父は絶対に行かねえと重ねて言う。本州は暑くて厭だし、飛行機は気持ち悪いし、一生オレは行くことはない。と何故か私を直視して断言する。以前、父がその主義を曲げて本州に来てくれたのは、小沼のお父さんの一周忌の時だった。その時は、父は大真面目に膝を閉じて、正座して線香をあげていたのである。
空港のチェックインの時間まで、4人で窓外のだだっ広い草原を見ていた。
ばかでかい音を出しながら飛行機は地上をひた走り、これでスピードが足りるのかなと思った瞬間、斜め上にふんわり飛んだ。北海道があっという間に小さくなる。
娘は窓外を見ずポケモンの映画など観ている。私は肩越しに窓の外を見るが、翼ばかりだ。雲の切れ間からジオラマのような緑の大地が少しだけ見える。雲が天国のように光っている。
長い旅が終わって、東京へ。
カレンダー
01 2025/02 03
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28
最新記事
(02/27)
(02/26)
(02/25)
(02/24)
(02/23)
(02/22)
プロフィール
HN:
北海のあざらし
HP:
性別:
女性
ブログ内検索
カウンター
携帯用
アクセス解析
Powered by ニンジャブログ  Designed by ゆきぱんだ
Copyright © 三本指日記 All Rights Reserved
忍者ブログ / [PR]