付け焼き刃の神道の知識で、何とか書き仕事を進めている。調べだすとやはり面白いし、時間がかかる。神道の由来や心構え等を知ると、正月の迷い、今まで幾度となくつまづいた謎の作法、何がタブーなのか、等、日常の暮らしにおいても役に立つ気付きが面白くて、つい本道から外れて本を読みふけってしまう。ただ、〆切があるという現実に関しては、凄く焦っている。物凄くまずい事態になっているので、今忘れる為に日記を書いた。
今日は自分の34歳の誕生日だった。仕事の途中で、普段よりも眉間に皺のよった一日だった。娘がわたしに夜ご飯を作ってくれた。卵だけが入った、チャーハン(?)だった。娘と相棒が歌でお祝いしてくれて、目の前にご飯が一皿、まだ湯気があがっていた。家族に感謝しつつ、本当にそれだけのご飯を食べた。
今日は自分の34歳の誕生日だった。仕事の途中で、普段よりも眉間に皺のよった一日だった。娘がわたしに夜ご飯を作ってくれた。卵だけが入った、チャーハン(?)だった。娘と相棒が歌でお祝いしてくれて、目の前にご飯が一皿、まだ湯気があがっていた。家族に感謝しつつ、本当にそれだけのご飯を食べた。
見ていると、書く端から字が死んでいく。読み返したり、遠目で眺める事も必要だけど、じっと見ていると堅く硬直して、意味のない羅列になる。我慢して見つめているとまた動き出すので、すぐ消さないで少し待ってみる。自分は書き終わった文章に興味があるのではなく、書いていく作業自体に強い関心を持っている。なにをやっているんだろう?という感じ。
点と線と曲線。一文字が一日の暗喩なら、文章は一週間の暗喩、一年、十年、そんな風に生きた運動を重ねていって、句読点がうたれ、全体で正体が判るということ、今更のように驚く。字もやはり命の仲間に違いない。無機質のようで、寿命まである。やはりおろそかには扱えない。
字に限らず、なんでも仕事は一生懸命やってみるものだ、と思う。その仕事固有の面白さが少しずつ判ってくる。字に私の命を分け与えるのではなく、字が私に形をくれるのだ。私は不安定な曲線の羅列から、いずれ安定した真直ぐな線になるだろう。真直ぐな線は、心電図が停止した後の映像にも似ている。曲線の無意味な羅列は、生命そのものだ。字の仕事を通じて、良い曲線を重ねられたらと思う。
点と線と曲線。一文字が一日の暗喩なら、文章は一週間の暗喩、一年、十年、そんな風に生きた運動を重ねていって、句読点がうたれ、全体で正体が判るということ、今更のように驚く。字もやはり命の仲間に違いない。無機質のようで、寿命まである。やはりおろそかには扱えない。
字に限らず、なんでも仕事は一生懸命やってみるものだ、と思う。その仕事固有の面白さが少しずつ判ってくる。字に私の命を分け与えるのではなく、字が私に形をくれるのだ。私は不安定な曲線の羅列から、いずれ安定した真直ぐな線になるだろう。真直ぐな線は、心電図が停止した後の映像にも似ている。曲線の無意味な羅列は、生命そのものだ。字の仕事を通じて、良い曲線を重ねられたらと思う。