意識しなくても、物語の中に暮らしている。自然に生えた草花を見る時もそうだし、親しい人の知らなかった横顔を見るときもそうだ。大きな交差点の雑踏の物語は、内奥の部分を傷つける。大勢の見知らぬ他人が永久に交わることなしにそれぞれの暮らしを営んでいるのは、当然のことなのに、私はそのことすら忘れて、自分の胸に関連性を作ってしまう。その証拠を探しては安心している。自分も無数の点のひとつとして、関連した点を打ってしまう。
身体から物語を追い出して、一切の夢を見ないで、コップや、机や、窓や騒音を直に見て聞いて、暮らす練習をした方が良いような気がしている。
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