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人間になればよかった...
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今日は、夢の中でも樹を切っていた。まるで眠った気のしない朝を迎えてしまった。働きに働いて、起きたら朝である。こういう納得いかない朝のスタートはたまにある。
金、土、日と茨城に来て、日曜の夕方に東京に戻る、という生活をかれこれ五年間ほど続けている。茨城の自然を眺めていると、私は北海のあざらしと名乗るように北海道出身なので、いつも旅行気分が抜けない。本州の豊かな四季折々の風景が広がっていて、ああここは正真正銘の日本だ、と感じる。北海道の自然はなんというか、あそこはたぶん日本じゃないのだろう。梅雨もなく、稲もなく、とんぼも変なのしか飛んでない我が故郷は、日本的情緒というものが全く存在しなかった。私は日本人のふるさとだとか、原風景だとかいう、いつも本の中でしか見聞きしたことのない感覚をこの土地で初めて見た。
美しい緑の田んぼは、私の血に含まれない。風に散りゆく春の桜を見ても、紅葉の美しい秋の山々を見ても、自分が日本人だと感じられるような特殊な感慨は全く湧かない。
お昼、草の影から飛び出した、生まれたてのアゲハチョウを見た。
夕方東京に戻る。夜は知人のズッキーくんと昼行灯さん来る。飲み屋に繰り出しておでん等つつく。

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茨城はまるで夏本番の暑さだ。ただ、風がほどよく吹いて心地よい一日。
今日は、庭で育ちすぎた樹を次々と切り倒した。不良の樹、根性曲がってる樹、おかしな所に枝を生やした樹、等々、小沼おかあさんと相談して、全部で5本の樹を間引くことに決める。物言わぬ樹木が相手はいえ、それぞれ元気いっぱいに葉を茂らせていて、まさか今日切られるとは予想もしていない雰囲気だ。涼しい木陰の下から樹を見上げていると、私の持っている鋸が妙に後ろめたい。幹に手をつくと、樹皮の下がドクドク震えている。鋸でぎこぎこと挽いていく。枯れ木と違って手応えがある。力も弱く手際もうまくない素人仕事の為に時間がかかる。切られるのをおとなしく待っている樹は、本当に私の100倍は真面目だ。三分の二、切ってもまだ倒れない。まだ倒れない。もう一息と思ったら、あああーっと奇妙な声をあげて、樹は派手に倒れた。痺れる程腕を上下させて二時間ほど奮闘し、5本の樹はすっかり片づいた。縁側でよく冷えた麦茶を飲んでいると、庭の隅のあちこちに茂った雑草が目につく。私はプロパンガスを暴発させたような火炎放射器を使って草達を焼き殺すか、それともナイロン紐を超高速で回転させて草達を根元からぶった切るか、しばらく思案した。草達は風に吹かれて頭をゆらしている。明日、東京に戻る前に片づけていこう。裏の焼却場では樹が薪になって、めらめら奇麗な炎をあげて燃えていた。
一日一日、のろのろと進み、外の青は目に眩しい。何処に続いているのか、分からない時間だと思う。 生とは、永遠の死を外から見る為の唯一の機会なんだろう。長さでもなく時間でもない死を観察するのは、この場所をおいてない。全てはそこに秘密があるのだ。死の仕組みに。生には何の仕組もない。死は、外から観察されることを確かに欲している。 今日はなんだか取り留めのない事ばかり考えていた。自分に考える力がなにもないことは惨めな気持になるけれど、一方で、自分の身体を助けてもいるらしい。私は何も判らない事をひたすら考え続けて、あきらめた。私は漫画である。こんな日は頭の回路がショートしているに違いない。 字を書くこと「以上」に、生きることは大変なことだ。とにかく、生きているという事実はすでに只事ではない。今日はもう考える力がないのだから、そのまま置き去りにして、私は行こう。こういう取り留めのない一日も軽々と越えていけるようになりたい。 夕方、娘と一緒にどこでもドアで茨城へ。

今日は風邪でもひいたらしい。吐き気が少し。布団で横になって体内での攻防をじっと忍ぶ。
娘は七才になった。毎日ランドセルを背負って帰ってくる。もう立派に育って一人前だ。今夜は娘に日記を手伝ってもらうことにした。じゃあ、頼むよ。

みんなのきもち 
             小ぬま こあざらし
きもちがかなしい
きもちがやさしい
きもちがないてる
きもちがうれしい
きもちがつらい
きもちがへん
みんなのきもちが
わかったよ

それでいいや。おわり。と言って、娘は自分の部屋に行ってしまった。この後どうやって終わるんだよ。

道具は、結局ずぶ濡れになっていた。昨日の続きなんて誰も気にしてないさ。
1ミリずつ、少しずつ生活が進んでいく。夕方東京に戻る。今晩の日記は食べた天ぷらについて書こうと思う。

天ぷらは小沼家には特別な思い入れのあるメニューらしく、毎週のように食べていた家庭の味だったらしい。結婚してから私は天ぷらを上手に揚げる必要に迫られた。ちなみに私は実家で天ぷらを食べた経験が皆無だった。
煮えたぎる油をじっと見ていると、追い詰められるような気がした。味のイメージがまるでない。失敗を繰り返すこと十数回、天ぷらノイローゼになる手前で凄い人が現れた。茨城で法事があった時、天ぷら上手と親族の間で評判のおばちゃんが、いとも易々と、素晴らしい天ぷらを揚げていたのだ。私はその名人に教えを請うたのである。
おばちゃん曰く、素材のスライスした厚さに勝負がかかっている。厚く切ったら衣が油を吸ってしまう。薄く切ったら、食べた時に具合がよろしくない。素人がおいしく天麩羅を作る為には、とにかく厚さが適正であること、これが一番肝要だということだった。そして油の温度は、揚げるというより、煮るようなかげんで、ことこと、ことことと揚げれば良いのだという。油はどこにでもある安い油でよく、油を切る紙も名人は新聞紙でやっていた。「いつ油から引き揚げたら良いですか」と聞くあざらしに「箸でぶすっと刺せばいいんだ」とこれまた無造作な解答がかえってきた。出来上がった天ぷらは、出来たては勿論のこと、翌朝になっても油がほとんど滲んでおらず、冷たいまま食べても非常においしかった。
材料を切る時に細心の注意を払うようになってから、あざらしの天ぷらは格段に良くなり、今は目をつぶっていても天ぷらを揚げられるようになった。今まで不得手だった方、ご参考まで。
どこでもドアで茨城県笠間市に到着。昨晩は久しぶりにぐっすり眠ることが出来た。 こちらの天気は曇天。今にも雨が降り出しそうで降らないという、行動範囲に迷う一日だ。 おぬまさん実家の庭を清掃する為、小型の草刈り機を使う。一ヶ月ほど前に近所のホームセンターで購入したのだが、これが素人にはなかなか手ごわい代物だ。2本のナイロン紐が高速で回転する仕組みになっていて、切れ味は金属刃となんら変わらない。草でも柴でも小石でもなんでもぶっとばす。 始めはおそるおそる動かしていたのだが、最近では植木の根元を傷つける程の大胆さで使うようになり、雑草どころか置いてあるバケツまで蹴散らす有り様。自分の顔に小石が飛んできても、舌打ちして作業を続けるほどずうずうしくなった。慣れとはおそろしい。 ここまで書いたところで、外では恐ろしげな雷雲がわいてきた。今一時間ほど刈った後でお茶で一服しながら書いていたのである。やばい雨ふってきた。日記書いてる間に状況が変化した。成長を続ける雑草との闘いは、まだまだ続くことだろう。なんて悠長に〆の言葉を書いてる間に雷。道具を片づけに外へ走りだす。
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