人生には三回の船が来る、と言ったのは死んだ義父だった。それは助け船が来るという意味だったのだと思う。義父は二回はすでに来た、あと一回分が俺に残っているんだと言った。唄か何かだったのか、世間で知られた諺だったのかは判らないけれど、病院で、自宅で、およそ半年続いた癌の闘病生活の内で、義父は何度となく「あと一回」の言葉を口にした。
私は義父が待っていた船を忘れる事が出来ないでいる。義父は、希望を曖昧には捉えていなかった。はっきり、意志を持っていた。その話を私に言う時は、悲壮感や冗談とはかけ離れた確信を持って、よく口端に笑みを浮かべ、やわらかな声で言っていた。
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