娘が元気と病気の中間くらいな風邪をひいた。突然嘔吐して、けろりとしている。心配で額に手をやると嬉しそうに見ている。行く筈だった茨城を取り止めて様子を見ることにした。お腹がすいた、桃缶が食べたい、食べたい、と私にせがむ。昔の子供じゃあるまいし、桃の缶詰は古いと思うが、洋服を着替えて商店街に買いに行った。
子供と付き合う時、自分が昔してもらった事を正確にひたすら繰り返している。おかゆだとか、水枕だとか、親の優しさがどうしてあれほど嬉しかったのだろうか。年末で賑わっている店内に入り、値段が高騰した野菜類を通り抜けて、75円の白桃の缶詰を買った。あの子こんなもの本当に食べるのかな、と疑問に思う。こんなものがどうしてあれほど贅沢で、幸福だったのだろう。
家に着いて缶をあけると、娘は、おいしい、でも、ほんとうの桃の方がよかったなあ、と言って大半を食べずに残した。病気という事実を忘れて、思わず娘の肩をぐらぐら揺らした。
子供と付き合う時、自分が昔してもらった事を正確にひたすら繰り返している。おかゆだとか、水枕だとか、親の優しさがどうしてあれほど嬉しかったのだろうか。年末で賑わっている店内に入り、値段が高騰した野菜類を通り抜けて、75円の白桃の缶詰を買った。あの子こんなもの本当に食べるのかな、と疑問に思う。こんなものがどうしてあれほど贅沢で、幸福だったのだろう。
家に着いて缶をあけると、娘は、おいしい、でも、ほんとうの桃の方がよかったなあ、と言って大半を食べずに残した。病気という事実を忘れて、思わず娘の肩をぐらぐら揺らした。
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