30歳で始めたバレエは、自分の健康の為にやっているだけだとしたら、少し熱くなりすぎている。今日は近所のストレッチ教室に行き、B先生のレッスンを受けてきた。ほんの少しの踊りの訓練で、すっかり幸せになって帰ってきた。上機嫌でシューズの手入れをしながら、もっと踊りたいなと思う。たぶん、中毒だ。
身体が言うことを聞くようになってきて、意のままにコントロールする楽しさというのを、初めて知ったせいではないかと思う。過去には文化系の部活しかやったことがなく、不格好な肉体にコンプレックスしか持っていなかった。自分の足の小指がどこについているかすら、以前はまったく判らなかった。今は触ると、ここにも意識が入ってる、と思えるようになった。バレエを始めた直後も、身体を力任せに伸ばして、無理矢理言うことをきかせようとしたり、結果を焦っていた頃は、わたしは、わたしの身体をまだ持っていなかった、ということが言えるのかも知れない。
始めてみると、もっと早くに始めていないとダメだと知るからくりは、やはり寂しい。でも知らない内に、沢山のものをすでに持っていたということもあるようだ。自分がこの手に握りしめている内容を、自分で判っていないのかも知れない。歳をとっていくと、色々なものをいつの間にか無くしている。無くす、というのは、持っていた、ということの唯一の証なのだろうか。何を大切にするかを知るだけで、相当のなくしものが必要ではないかと思う。
身体が言うことを聞くようになってきて、意のままにコントロールする楽しさというのを、初めて知ったせいではないかと思う。過去には文化系の部活しかやったことがなく、不格好な肉体にコンプレックスしか持っていなかった。自分の足の小指がどこについているかすら、以前はまったく判らなかった。今は触ると、ここにも意識が入ってる、と思えるようになった。バレエを始めた直後も、身体を力任せに伸ばして、無理矢理言うことをきかせようとしたり、結果を焦っていた頃は、わたしは、わたしの身体をまだ持っていなかった、ということが言えるのかも知れない。
始めてみると、もっと早くに始めていないとダメだと知るからくりは、やはり寂しい。でも知らない内に、沢山のものをすでに持っていたということもあるようだ。自分がこの手に握りしめている内容を、自分で判っていないのかも知れない。歳をとっていくと、色々なものをいつの間にか無くしている。無くす、というのは、持っていた、ということの唯一の証なのだろうか。何を大切にするかを知るだけで、相当のなくしものが必要ではないかと思う。
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