夜、娘の連絡帳をチェックすると「明日もってくるもの。なわとび」と下手な字で書いてあった。何これ?と聞いたら、ママ買ってあるよね?と言う。ないよ。お店はもう閉まってるから、明日買って学校に届けてあげる、体育は何時間目?1時間目。娘は先生に怒られるう、と繰り返す。近所で一番遅くまで営業しているディスカウントショップで、おぬまさんが縄跳びを以前見たような気がする、と言う。私が以前見た時はなかったような気もする。仕方なく外出着に着替えて、確信もないまま縄跳びを探しに外へ出た。
生活は先手を打たないと、こういう面倒なことになる。身の縮む寒さだった。コンクリートに挟まれた真黒い川を見る。音もしなくて怖かった。欄干に沿って歩くと、川の流れより私の歩く速度の方が若干早い。夜にすれ違うジョギングの人が、さらに黒い水を追い抜いていった。
足早に橋を渡り、店の明かりに近付いていくと、外套を着た中年の男性客がきつい目で自分を睨んだ。歩く速度を変えないで店内に入った。かなりお買い得な品々の間をすり抜けて、早足で歩いて玩具コーナーの前に立った。よかった。たった一つだけぶら下がっていたのは、黄色い縄跳びだった。
生活は先手を打たないと、こういう面倒なことになる。身の縮む寒さだった。コンクリートに挟まれた真黒い川を見る。音もしなくて怖かった。欄干に沿って歩くと、川の流れより私の歩く速度の方が若干早い。夜にすれ違うジョギングの人が、さらに黒い水を追い抜いていった。
足早に橋を渡り、店の明かりに近付いていくと、外套を着た中年の男性客がきつい目で自分を睨んだ。歩く速度を変えないで店内に入った。かなりお買い得な品々の間をすり抜けて、早足で歩いて玩具コーナーの前に立った。よかった。たった一つだけぶら下がっていたのは、黄色い縄跳びだった。
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雨交じりで肌寒い。震えながら傘を差して小学校へ行く。申し込み制のソーシャルスキルトレーニング(SST)講習会に参加した。成り行き上、受講しに来てしまったが、かなりの不安を覚える。
ソーシャルスキルとは社会的な場での対人関係処理能力を差すらしく、挨拶、御礼、謝罪等などの基本的態度や、相づち、目線、表情などの非言語コミュニケーションなどをあらためて学び直すことでスキルアップを図る講習会……だそうだ。
やたら明るいS講師の指示で、幾つか実験をする。相手の顔の表情だけで何を考えているかをあてっこしたり、自分がどの距離までを安全と感じているかの範囲を調べたりした。実験で判った事は、私のテリトリーは標準より距離が長く、警戒心が相当強いようだ。どうしてそうかは判らないが、知っておいて良かったと思う。
訓練を重ねることで、非言語メッセージを読み取る率は格段に上がるそうだ。ゲームとしては面白いと思うが、スキルの完全欠如でつらい十代を送った私としては、訓練自体が何か拷問めいていた。結局、他人への「信頼感」がなければ、これらの知識を有効に活用できないと判る。スキルの先にあるものが問題なのだろう。今後はSSTを小中学校の授業にも取り入れていく可能性もあるとのこと。……
今日はおぬまさんの誕生日だった。本人は祝って欲しくなさそうに見えたが、家族で無理矢理に祝った。ケーキを焼いて、娘が生クリームと果物を飾った。ローソクは42本も買えなかった。気乗りしない風だったけれど、一応火は吹き消してくれた。
ソーシャルスキルとは社会的な場での対人関係処理能力を差すらしく、挨拶、御礼、謝罪等などの基本的態度や、相づち、目線、表情などの非言語コミュニケーションなどをあらためて学び直すことでスキルアップを図る講習会……だそうだ。
やたら明るいS講師の指示で、幾つか実験をする。相手の顔の表情だけで何を考えているかをあてっこしたり、自分がどの距離までを安全と感じているかの範囲を調べたりした。実験で判った事は、私のテリトリーは標準より距離が長く、警戒心が相当強いようだ。どうしてそうかは判らないが、知っておいて良かったと思う。
訓練を重ねることで、非言語メッセージを読み取る率は格段に上がるそうだ。ゲームとしては面白いと思うが、スキルの完全欠如でつらい十代を送った私としては、訓練自体が何か拷問めいていた。結局、他人への「信頼感」がなければ、これらの知識を有効に活用できないと判る。スキルの先にあるものが問題なのだろう。今後はSSTを小中学校の授業にも取り入れていく可能性もあるとのこと。……
今日はおぬまさんの誕生日だった。本人は祝って欲しくなさそうに見えたが、家族で無理矢理に祝った。ケーキを焼いて、娘が生クリームと果物を飾った。ローソクは42本も買えなかった。気乗りしない風だったけれど、一応火は吹き消してくれた。
朝、電車を乗り継いで、S川駅のホテルに行く。着くと巨大な建物だった。うやうやしく頭を下げるボーイさんに会釈を返して、中を通り過ぎただけなのをごまかした。
北海道の叔母さんといとこのMちゃんが、介護の専門学校を受験する為、二人で東京に来ていた。叔母さんは大きい荷物をぶら下げて立っていた。Mは今、丁度面接の最中だわ、と私に言う。腕時計の針は10時だった。喫茶店で話をしながら、Mちゃんが戻ってくるのを待った。合格したらMちゃんは東京で暮らすつもりだそうだ。叔母さんは応援と寂しさが混ざったままらしく、仕方ないっしょ、と力なく笑った。自分にも娘がいるけれど、まだ子供だから、旅立ちの日はまるで想像出来ない。
一時間後に現れたMちゃんは、会うなり目に涙を浮かべて、もうダメだ、と訴えた。面接官と会話が噛み合わなかったらしい。三人で適当に歩き出し、目の前にあったトンカツ屋に入って、とにかく終わったのだからとカツなどを頼むが、Mちゃんはほとんど箸もつけない。うなだれた頭を見ながら、自分が18歳で上京した時の気持を思い出す。心臓の音が直に聞こえるような、しんとしたホテルの天井だった。彼女の賭けもうまく行きますように。
受かったら、ご馳走するからね、と別れ際にMちゃんに言うと、Mちゃんはほんの少しだけ笑って、小さな八重歯を見せた。
北海道の叔母さんといとこのMちゃんが、介護の専門学校を受験する為、二人で東京に来ていた。叔母さんは大きい荷物をぶら下げて立っていた。Mは今、丁度面接の最中だわ、と私に言う。腕時計の針は10時だった。喫茶店で話をしながら、Mちゃんが戻ってくるのを待った。合格したらMちゃんは東京で暮らすつもりだそうだ。叔母さんは応援と寂しさが混ざったままらしく、仕方ないっしょ、と力なく笑った。自分にも娘がいるけれど、まだ子供だから、旅立ちの日はまるで想像出来ない。
一時間後に現れたMちゃんは、会うなり目に涙を浮かべて、もうダメだ、と訴えた。面接官と会話が噛み合わなかったらしい。三人で適当に歩き出し、目の前にあったトンカツ屋に入って、とにかく終わったのだからとカツなどを頼むが、Mちゃんはほとんど箸もつけない。うなだれた頭を見ながら、自分が18歳で上京した時の気持を思い出す。心臓の音が直に聞こえるような、しんとしたホテルの天井だった。彼女の賭けもうまく行きますように。
受かったら、ご馳走するからね、と別れ際にMちゃんに言うと、Mちゃんはほんの少しだけ笑って、小さな八重歯を見せた。
今週は東京。家族三人でI駅にある居酒屋へ向かう。専門学校の同期の結婚祝いパーティがあった。入籍がたまたま重なった二組のダブルお祝い会だ。一組は俳優のRくん、もう一組は文文のズッキーくんと昼行灯さん。祝いといっても、集まったのは15人ほど、プレゼントもごく少額に設定されて、主賓達も遅れてやってくるという只の飲み会である。
豪華なものが何も用意されない会、というのは、人によっては失礼に当たると思うけれど、同期の人達は皆大袈裟なのは勘弁という人達ばかりなので、自然と楽な付き合いに流れる。主賓達も御祝いする方も、てんで勝手に話を交わしている。自分にとって、専門学校時代の知人ほど心和む関係はない。お互いがそこにいるだけなのだが。それは言葉に触れない領域に位置して、決して親しいというのでもない、いいようのない、繋がりを見る思いがする。
八歳の娘がいるので、二次会は断念。とはいっても、時計は9時を回っていた。皆と別れたあと電車に乗って帰ってくる。コンビニに寄って娘と相談しながらカップ麺を買った。子供の健康に悪そうな夜だ。自宅に着くと、娘は嬉しそうにお箸を持ってきた。沸かしたての熱いお湯を注ぐと、どちらのカップからも良い匂いが漂った。
豪華なものが何も用意されない会、というのは、人によっては失礼に当たると思うけれど、同期の人達は皆大袈裟なのは勘弁という人達ばかりなので、自然と楽な付き合いに流れる。主賓達も御祝いする方も、てんで勝手に話を交わしている。自分にとって、専門学校時代の知人ほど心和む関係はない。お互いがそこにいるだけなのだが。それは言葉に触れない領域に位置して、決して親しいというのでもない、いいようのない、繋がりを見る思いがする。
八歳の娘がいるので、二次会は断念。とはいっても、時計は9時を回っていた。皆と別れたあと電車に乗って帰ってくる。コンビニに寄って娘と相談しながらカップ麺を買った。子供の健康に悪そうな夜だ。自宅に着くと、娘は嬉しそうにお箸を持ってきた。沸かしたての熱いお湯を注ぐと、どちらのカップからも良い匂いが漂った。
B先生のレッスン場は、半地下に作られた構造で、灰色の壁に大きな鏡が貼られ、降り立つと鏡に閉じこめられた気がする。静かなオルゴール箱のようだ。
教わったバレエは難しい。お手本の4割も再現できない。B先生の普段の訓練は自分にはまだ難しいので、見よう見真似で追いすがってみるが、身体を正しく使えた気がしなかった。
33歳という若年寄りになっても、落ち込みやすい性格を持て余している。それでも、毎日を暮らす答え(意味)を問う作業は、自分の慰めとなっている。偽の解を掴んでは離して、今年も暮れていく。若年寄りとなった現在、もう充分持ち時間をいただいた人間だったという事実を認めなくてはいけない。何の幸運かは知らないが、消えた蝶達より生かしてもらった訳だ。14歳で死んだ弟に至っては、彼は私の二分の一以下で飛び立ってしまった。長く生きたところで、許してもらえる生き方を、何日しただろう。
教わったバレエは難しい。お手本の4割も再現できない。B先生の普段の訓練は自分にはまだ難しいので、見よう見真似で追いすがってみるが、身体を正しく使えた気がしなかった。
33歳という若年寄りになっても、落ち込みやすい性格を持て余している。それでも、毎日を暮らす答え(意味)を問う作業は、自分の慰めとなっている。偽の解を掴んでは離して、今年も暮れていく。若年寄りとなった現在、もう充分持ち時間をいただいた人間だったという事実を認めなくてはいけない。何の幸運かは知らないが、消えた蝶達より生かしてもらった訳だ。14歳で死んだ弟に至っては、彼は私の二分の一以下で飛び立ってしまった。長く生きたところで、許してもらえる生き方を、何日しただろう。
三週間ぶりに、バレエ教室へ行く為I駅へ。寒々とした曇り空だというのに、喜びで胸が高鳴る。ストレッチ教室は行っていたけれど、やはり3年通い続けているS先生の教えは大好きだ。どちらの教室も選べない。いっそ全部通ってしまおうか。週四回。ええと……無理だよ……なにより資金問題。困った。偽札を作るしか手がないのかも。
S先生のバレエはRAD式で、B先生はワガノワ式だから流派が違う。自分は素人なので、違いに悩むほど知識が深まってはいないけれど、あちこちに手を出してはいけないとも思う。ただお二人の人柄に惹かれているのだった。どちらもバレエを一度諦めかけた経験があり、現在、一生涯踊り続けることを目標とされている。そしてどちらも励ましの名人だ。
手を上げると肩が軽い。おやっと思う。自分の限界値よりさらに可動域が増えていた。ストレッチ効果だ。B先生の教えは、自分の弱点を補ってくれるらしい。
お二人の指導は全く違っているけれど、今の私にとってはどちらも面白い。辞めたくないなあ。
S先生のバレエはRAD式で、B先生はワガノワ式だから流派が違う。自分は素人なので、違いに悩むほど知識が深まってはいないけれど、あちこちに手を出してはいけないとも思う。ただお二人の人柄に惹かれているのだった。どちらもバレエを一度諦めかけた経験があり、現在、一生涯踊り続けることを目標とされている。そしてどちらも励ましの名人だ。
手を上げると肩が軽い。おやっと思う。自分の限界値よりさらに可動域が増えていた。ストレッチ効果だ。B先生の教えは、自分の弱点を補ってくれるらしい。
お二人の指導は全く違っているけれど、今の私にとってはどちらも面白い。辞めたくないなあ。