翌朝まで深酒をした。友人の皆は真暗で寒そうな明け方に帰って行った。三時間後にバイト先へ向かわなくてはいけなくて、寝ないことにして、酒の残った体でシャワーに入り身支度を調えた。何度も洗面台に手をついて、ダメかな、と呟きながら、人生って楽しいな、という気持ちが沸いた。酒精のせいか、友人達のせいだったかは判らない。肉体の辛さは自業自得だった。
その後の事は覚えていない。釣り銭間違いと、店で倒れることの二つだけは厳禁と呟きながら自転車をこいでいた事と、店内のレジ前の菓子棚で、ビスケットの絵が描かれている積まれた菓子の箱の配列、その二つだけが鮮明に頭に残っている。多分、無事に終わったのだ。家では優しい家族と布団の眠りが待っていた。
その後の事は覚えていない。釣り銭間違いと、店で倒れることの二つだけは厳禁と呟きながら自転車をこいでいた事と、店内のレジ前の菓子棚で、ビスケットの絵が描かれている積まれた菓子の箱の配列、その二つだけが鮮明に頭に残っている。多分、無事に終わったのだ。家では優しい家族と布団の眠りが待っていた。
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朝に七草がゆを炊いた。昨日買った350円パックの七草には、たっぷり雑草が入っている。茨城だったらそこら辺で生えているのになあ、と、はこべを生で食べてみる。
一部を塩茹でして刻み、小さく切った餅をまぜた白がゆに浮かべると、何となく、形になって、美味しそうになった。日本の伝統、という言葉を思い浮かべてはいるのだが、北千島アイヌ人の末裔である自分は、あまり和人の習慣を愛すると、祖先の皆さんに悪いような気もするのだった。だからといって、こういう風に普段の暮らしの中に生かせる習慣を、知っている訳でもないのだった。血の元である祖母は、一切アイヌの思い出を口にせずに死んだし、私自身が、どのような人間でありたいか、中年のおばさんになった現在でも、さっぱり一線を結ばないのだった。
一部を塩茹でして刻み、小さく切った餅をまぜた白がゆに浮かべると、何となく、形になって、美味しそうになった。日本の伝統、という言葉を思い浮かべてはいるのだが、北千島アイヌ人の末裔である自分は、あまり和人の習慣を愛すると、祖先の皆さんに悪いような気もするのだった。だからといって、こういう風に普段の暮らしの中に生かせる習慣を、知っている訳でもないのだった。血の元である祖母は、一切アイヌの思い出を口にせずに死んだし、私自身が、どのような人間でありたいか、中年のおばさんになった現在でも、さっぱり一線を結ばないのだった。