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人間になればよかった...
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今日は自分の36歳の誕生日だった。目が覚めて、なんだか背が高くなったみたい、と話していた娘と違って、昨日と違わない朝に思われた。だけど実際は、とてもいい日だった。大切な家族の二人、実姉、実母、実父、部活の先輩から、おめでとうを伝えてもらった。金曜の茨城に来たら、義母が四角くて苺が沢山乗ったケーキを買ってくれていた。四角いから、十字に切って4切れにしたら、娘も義母も、余ったひとつは、あざらしさんが食べなさい、それがいいといって、私が2切れ食べることになった。こんなに幸福な人生があるだろうか。私は本当に恵まれている人間だ。
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お腹がしくしく痛み、仕事に集中できず。コーヒーのがぶ飲みを止めてお茶に切り替える。一体いつになったらゴールが見えるのだろう。夜ご飯を相棒が奢ってくれた。定食屋で家族三人で食事していたら、通路を挟んだ向こうの家族が、漬け物の食べ方で喧嘩していた。ほらまた、イライラするんだよ、とその人は大声で言った。どんなに怖い顔なんだろうと思って、見たくなった。そっと振り向いたら、普通の顔をした男性だった。
10人の登場人物達が、廃校になった小学校に行って、霊に殺されていく。なかなかいい配置ができなくて悩んでいる。今日は年に一度の安全パトロールの日だったので、夕方に娘の学校に行って、面識の少ないお母さん達と待ち合わせした。そつなく話しながら適当に学校周辺を歩きまわって、一時間後に無事解散となった。あまり突飛な話をしないように気をつけながらも、寺の墓だとか、薄暗い工場に視線が向かってしまう。心が不吉な記号を求めていて、なんとか脚本の材料にしたいのだった。でもこれが私の生きる道で、自分を生かす道だった。夕方の実際の小学校は、不吉というよりは優しかった。
娘の学校公開日。図工の授業を参観した。はじめて、いい授業だなあと思う授業を見た。真剣勝負で子どもに教えていた。叱る、というのはこういう事なのか、と思う、愛に溢れた授業だった。はじめての彫刻刀での授業、ということだったが、子どもに刃物を持たせる事への教師の責任、というのが、並の覚悟とは全く違っていた。大人の自分でさえ、怖くなるほどの真っ向勝負だった。優しそうな事は言わないし、少しでもふざけた態度を取った子には厳しい態度で臨んでいた。伝えている事は愛情そのものだった。この先生は今年で退職が決まっているそうで、本当に残念に思った。
すごい人が、日常にたまに、ぽつん、と紛れている。なんだか、傷つく。嬉しくて怖くて、自由に放り出されたようで、帰り道の足がよろつく。
バイト先では、実に色々な勉強をしている。お金をもらって自分の身にもなっているのだから、ありがたい。
世界がどうして回っているか、何処かで誰かが泣いているからだ。自然に、勝手に回っているのではなく、誰かの優しさが、忍耐が、不条理への抵抗が、地球上の感情の生き物である人間の世界を回している。一人一人はどこにも繋がっておらず、誰がそれを回したかは知る機会がない。だけど、その意志が減っていったら、本当にこの世界は止まるだろう。本当に具体的に、止まってしまうのだ。
どうなっても、なるようにしかならない。今までだってそうだった。先のことが判った試しもなかった。目を逸らすと行きすぎてしまう現在だ。こうやって何回、待っていただろう。いつも、来ないものを待っていた。
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