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人間になればよかった...
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裏の畑では、野菜が少しずつ育ってきた。きゅうり。なす。じゃがいも。この夏はあまり野菜を買わなくても済みそうだ。
午前中ずっと庭に出て、2時13分の特急電車で東京に向かう。同じ車両。同じ立ち位置。何事もなければ、来週もこの場所に立っている筈だ。心に触れたものがあまりない時、時間は急に飴のようにぐにゃりと伸びていく。生きるエネルギーが急激に減少するあの感じ。
こういう日は生きていれば、生きている事が習慣になる。膨大な世間の霞みの片隅で、自分が空っぽと思える日が。
私は考えを変えたくなる。自分は、庭のなすやきゅうりと同じ生き物だと思ってみる。疑わず、おそれず、最後の収穫まで素直に育つのだ。水や、光や、同じ因果で回る偶然で、……
夕方東京に戻ると、駅前ではぽつぽつと雨が降っていた。とにかく一生懸命やってみなければ、それがどこに向かうかなんて、やりながら判る訳もない。この暮らしだって安泰という訳じゃない。さあいこう。なんだか急に時計が早回しになるようで、時間感覚がねじれる。娘と急いで横断歩道を渡る。
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どこでもドアで茨城へ。暑い日差しの中、恒例の庭掃除をして過ごす。先週ちょん切った草達はまた息を吹き返していた。
小沼お母さん邱周辺には、とかげ達が沢山暮らしている。ふっと下を見ると、よく石の上を走っている。嫌いな人は想像するだけでむしずが走るだろうが、とかげは毒もないし、わるさもしない、ただそこいらを走るだけの可愛い小心者だ。見つけたので反射的に飛びかかって(なぜなら妖怪人間ですから)素早く両手で捕まえると、とかげは何度も私の手のひらの肉を噛んだ。歯がないからさして痛くもない。7歳の娘に見せた。娘は大喜びしている。そのまま握っていたら異変が起きた。とかげが……芝居をうったのだ。そして、胴の辺りから千切れた。私と娘はぎゃっと悲鳴をあげた。下に落ちた尻尾がうねうねと動いている。本体(?)は、悲しげに尻を隠しながら草陰に消えた。とかげの尻尾切りだ。これがそうなんだ。言い訳ではないけれど、こちらとしては友好ムードで接してすぐに放すつもりだったのに、なんというあわてん坊だろう。物理的な力も加えず、奴はロケットでも切り離すように、自分の身体を切り離してしまった。残された私達親子はしっぽを見下ろした。尻尾はまだうねうねと動いていた。私はとかげが少し怖くなった。なにか人間には判らぬものだと思った。こんな事は無我夢中でしでかすのだろうか。それとも、切り離せると知っていて、普段から頼りにしているのだろうか。別の個体がこちらを物陰からうかがっているのが見えた。私は娘の肩を抱いて、マイホームへ帰っていった。
映画言葉は、人間の知恵の凝縮だ。生涯を通じてひとつで足りるし、苦しい時、いつでも達人の助けを得ることが出来る。人の生き方を教える優秀な言語だが、それをその言葉以外のものへ翻訳することが出来ない。 映画言葉を追求し続けること。それが、一体なんだというのだろう。もともと日常言語にとっては全く意味のない徒労にすぎない。だから、感じない人には全く力をもたない。それに映画言葉は、一度覚えると、かなり無気味な言語だ。芯から明るい人は一人もいなくなる気がする。映画に無縁な暮しを送る人達にとっては、上級者達の血まみれの映画言葉は、不安さを通り越して一人の宇宙人、あるいは未開の原人となるだろう。師匠のB先生や、I先生の作品のように。 それにしても、敗者をより多くふるい落とす者は、よりすさまじく輝いている。美しさや感動は、なんの為に存在しているのだろう。なぜこんな瞬間的な存在が、強い衝動を感じさせるのだろう。どうして、人に永遠の観念を連想させるのだろう。 あまりに残酷な光のからくり。

今日は新鮮なオクラをスーパーで購入。よろこんでお鍋で茹でていたら、次々と破裂しだして、大惨事に。あごと首の下を火傷する。オクラでこんな目に遭ったのは初めてだ。

料理は好きな方なのだけど、うまく出来た、と思える時は数える程だ。一昔前は料理本を80冊持っていたし、立ち読みやら図書館で借りたのを合わせると300冊位は読んでいる。のだけど、料理を目で知っているだけで、美味しさの方程式はまるで掴めない。
料理上手な方は、目でレシピを読んだだけで味の予想がつくという。そういう方はたいてい料理上手なお母さんとか、美食好きの一家だとか、美味しいものに囲まれて育った人ではないだろうか。
自分の母の場合、餃子は水を入れずに焼くので石みたいに堅かったし、スパゲティにはお砂糖が山盛り4杯入っていて、舌が抜ける程甘かった。ハンバーグは毎回生焼け、お魚は真っ黒焦げだった。子供の私は甘いスパゲティを食べるのがつらくて、イタリアときくとこのスパゲティを思い出して怒りを感じていた。
……親って、その他いろいろな方面で、ありがたいものだ。(フォローになってないよ)
そんな環境でも、なんとか取り返せるだろうか。私の場合の美味しさの方程式は、《石、水っぽさ》《焦げ、生》を元にグラフ表を作ってみる事が出来そうだ。
今日はオクラの呪いなのか、がっくりしてきたので、この辺で。

太陽はものすごく輝いていた。下を歩いている人間などお構いなしだ。

こういう晴れた日にバレエがあるのは嬉しい。身体は普段より言うことを聞いてくれるし、少しぐらい出来が悪くても落ち込まずに練習できる。こんな日は幾らでも動いてしまう。
この先どれだけ訓練を重ねても、人前で踊る事のない、素人バレエ。思えば、はかない遊びである。もっともらしい理由で止めたくなるけれど、あの堅いにくらしい悪魔の靴は、人の向上心をがっちり掴んで離さない。
あの堅い靴を履いた足のつま先はどうなっているか、自分も知らなかったのだけど、「指は真っ直ぐに伸びている」。じゃあどこで立ってるかというと「先の堅い部分に足が挟まっている」。固めのスリッパを履いて、浴衣とかの紐でぐるぐる足に巻きつけて、つま先で立ってみれば、トゥーシューズの感じに結構似ている。冠婚葬祭で使うような上等の革靴で、つま先立ちしても、二秒くらい成功する。もちろんその靴は傷みます。
それから、バレエの靴には左右の区別がない。どちらも同じ形をしていて、右、左をおかまいなしに履くのだった。

頭の中でひよどりが鳴きっぱなし。おぬまさんが景気づけにトンカツを奢ってくれた。
電車を待っていると実に様々な人が歩いている。年配のサラリーマンとラフな恰好した男性が大半、あとは女性、たまに幼児。学生。
私は駅のホームをうまく歩けない。ただ自然に歩こうと努力してしまう。私はそのように努力している人を見かけた時にある種のばつの悪さを感じる。どうしてそうなってしまうのかよく判るからだ。
座席の隣で身を固くしている小柄な女性に、何か言いようのない親近感を感じる。
こんなこと、お互いつらいですね。当たり前ですよね、リラックスできないの。だってお互い、知らない人同士ですもん。
相棒と池袋で別れたあと、サンシャインシティで買い食いと衝動買いを繰り返し、紙袋を抱えて家に戻る。空っぽになった財布をおでこに乗せて、しばらく放心。
ひよどりを頭に飼ったまま、娘と宿題をいっしょにやる。
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