いつも利用する茨城のI駅は、冬は驚くほど冷たい風が吹きつけてくる。義母と娘は互いに抱きついて暖をとっている。私の体は堕落してしまい、北海道育ちの取り柄もなくなってしまった。特急電車の車内に入ると、暖房がききすぎるほどで、冷え切っていた身体が解凍された。座席に深々と背をもたれてしばらく眠った。
小学1年の時、吹雪の中を集団下校させられたことがあった。私は一つ違いの姉と手をつないで、真白い世界を意気揚々と歩き出したのだが、斜めに吹きつける雪を浴びて、前に進めなくなってしまった。風は酷くなるばかりで、視界は奪われ、長靴は脱げ、しまいには前後左右全く判らなくなった。家に帰る20分の距離でほとんど遭難しかかっていた。姉と二人で大声をあげて泣いた。人影はなかった。一体どの位時間が経ったのか判らないが、顔をあげると、知らないお姉さんが立っていた。
制服姿で中学生か高校生かは判らない。私は雪女と会ったと思った。きれいな人だったから。その人は、涙と鼻水で濡れた私達の顔をハンカチでぬぐってくれ、私達の頭を優しく撫でてくれた。そして『…………』と、言った。その人も全身雪だらけだった。
電車の座席で目をあけると、隣で娘が口をあけて寝ていた。随分と古い記憶で、してもらった行為の輪郭だけが残っているのだが、未だに感謝の念を抱いている。家に辿り着いた時、私はその人に向けて、目をつぶって、御礼を祈ったのだった。『…………』は、今では様々な言葉をはめ込むことの出来る場所として、無限の励ましの場所としての、記憶の空白となっている。
小学1年の時、吹雪の中を集団下校させられたことがあった。私は一つ違いの姉と手をつないで、真白い世界を意気揚々と歩き出したのだが、斜めに吹きつける雪を浴びて、前に進めなくなってしまった。風は酷くなるばかりで、視界は奪われ、長靴は脱げ、しまいには前後左右全く判らなくなった。家に帰る20分の距離でほとんど遭難しかかっていた。姉と二人で大声をあげて泣いた。人影はなかった。一体どの位時間が経ったのか判らないが、顔をあげると、知らないお姉さんが立っていた。
制服姿で中学生か高校生かは判らない。私は雪女と会ったと思った。きれいな人だったから。その人は、涙と鼻水で濡れた私達の顔をハンカチでぬぐってくれ、私達の頭を優しく撫でてくれた。そして『…………』と、言った。その人も全身雪だらけだった。
電車の座席で目をあけると、隣で娘が口をあけて寝ていた。随分と古い記憶で、してもらった行為の輪郭だけが残っているのだが、未だに感謝の念を抱いている。家に辿り着いた時、私はその人に向けて、目をつぶって、御礼を祈ったのだった。『…………』は、今では様々な言葉をはめ込むことの出来る場所として、無限の励ましの場所としての、記憶の空白となっている。
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昨日報道された事件の犯人は、朝に死んでいた。地獄とはどんな場所だろうかと思うばかりだ。
土曜、義母と娘と三人で、近所の巨大ショッピングセンターへ出かける。暖かい静かなテラスで沢山のお客さんが食事をとっている。買えるあてもない商品群を眺めながら、義母の足の神経痛に合わせてゆっくりと歩く。今日一日を和やかに過ごすために、私は自分の力を使おう。明るい天井を見上げたら、贋の鳥がディスプレイされていた。
売り場をはしゃいで歩く娘と、財布の残金を計算している私、孫の喜ぶ顔に幸福を感じている義母。あの場所に一体に溶け合って、誰にも見つからず透明になって、息をした。義母に娘の服を何枚か買ってもらって、昼食にはもんじゃ焼きを食べた。
二度と繰り返されないこと。起きたら決して取り返しがつかないこと。もうそれだけで現実は無限の悪夢よりも厳しい。今日。今日の日。贋の鳥。
土曜、義母と娘と三人で、近所の巨大ショッピングセンターへ出かける。暖かい静かなテラスで沢山のお客さんが食事をとっている。買えるあてもない商品群を眺めながら、義母の足の神経痛に合わせてゆっくりと歩く。今日一日を和やかに過ごすために、私は自分の力を使おう。明るい天井を見上げたら、贋の鳥がディスプレイされていた。
売り場をはしゃいで歩く娘と、財布の残金を計算している私、孫の喜ぶ顔に幸福を感じている義母。あの場所に一体に溶け合って、誰にも見つからず透明になって、息をした。義母に娘の服を何枚か買ってもらって、昼食にはもんじゃ焼きを食べた。
二度と繰り返されないこと。起きたら決して取り返しがつかないこと。もうそれだけで現実は無限の悪夢よりも厳しい。今日。今日の日。贋の鳥。
金曜、B先生の稽古場にてバレエ。相変わらず難しい。努力でなんとかなるとも思えない。空中で足を3回打つ、に至っては真似すら出来ない。何がどうなっているのかさっぱりだ……。イメージすることが大切だといい聞かせる。止めないのが、とりえ。
夜、茨城県のおぬま邱に着く。今日はなんとかという流星群が見られるそうだよ、と義母が言うので、三人で夜空に目をこらしたが、義母も私も目が悪いので、今夜は凄い星空だとぼんやり判るだけだ。周囲に街灯はなく、視力の良い人なら絶好の場所だろうに、残念だ。飛行機の赤いランプが点滅しているのを、義母と同時に見つけた。娘はあっ今!と言って、空の反対側を指差した。
寒い部屋のテレビをつけると、銃の乱射事件が報道されていた。ついさっき亡くなった方の詳細が伝えられている。途方もなく陰鬱な事件に、星は消えた。テレビは即時性があるようでいて、昨日起きた事も今起きた事もごったまぜで判らなくなる。犯人の頭に、ここ数日の海外での乱射事件が頭をよぎっていたのだろうか。自分の夢に食われた一つの魂が、破滅に向かって走り出した事は確かだ。
夜、茨城県のおぬま邱に着く。今日はなんとかという流星群が見られるそうだよ、と義母が言うので、三人で夜空に目をこらしたが、義母も私も目が悪いので、今夜は凄い星空だとぼんやり判るだけだ。周囲に街灯はなく、視力の良い人なら絶好の場所だろうに、残念だ。飛行機の赤いランプが点滅しているのを、義母と同時に見つけた。娘はあっ今!と言って、空の反対側を指差した。
寒い部屋のテレビをつけると、銃の乱射事件が報道されていた。ついさっき亡くなった方の詳細が伝えられている。途方もなく陰鬱な事件に、星は消えた。テレビは即時性があるようでいて、昨日起きた事も今起きた事もごったまぜで判らなくなる。犯人の頭に、ここ数日の海外での乱射事件が頭をよぎっていたのだろうか。自分の夢に食われた一つの魂が、破滅に向かって走り出した事は確かだ。
朝起きて、発作的に涙がでた。解消出来ない実家との関係が、自分の核と密接に関わっている。33歳になっても私はあの家の子供のままらしい。この宿題は、虫喰いだらけの書類に『未解決』の判を押して、冷静になるまで放っておくことにした。
小雨の一日。学校新聞が刷り上がる日だった。真夏の9月あたりから取材活動をしていたので、今日で終わりと思うとそれなりに感慨深い。他校のPTAに新聞を配送する最後の仕事をする為に、小学校へ出向いた。
会議室へ行くと、自分達の作った学校新聞が、束になって置かれていた。二学期班のメンバー一同で輪を作って、完成した新聞を手にとって眺めた。
PTA活動に参加したことは、結果的にとても良い有意義な機会になった。真っ当ではない映画人の世界には凄みがあるけれど、お母さん達から聞けた会話の内容は、また違った意味で正論だった。今の世間を肌で知る貴重な機会だったように思う。
夕方、娘の帰りが遅いので心配する。薄暗くなってから、走って元気に戻ってきた。居残りの友達を待っていたという。宿題しなさい、と言いながらランドセルをあけると、刷りたての学校新聞が中から出てきた。
小雨の一日。学校新聞が刷り上がる日だった。真夏の9月あたりから取材活動をしていたので、今日で終わりと思うとそれなりに感慨深い。他校のPTAに新聞を配送する最後の仕事をする為に、小学校へ出向いた。
会議室へ行くと、自分達の作った学校新聞が、束になって置かれていた。二学期班のメンバー一同で輪を作って、完成した新聞を手にとって眺めた。
PTA活動に参加したことは、結果的にとても良い有意義な機会になった。真っ当ではない映画人の世界には凄みがあるけれど、お母さん達から聞けた会話の内容は、また違った意味で正論だった。今の世間を肌で知る貴重な機会だったように思う。
夕方、娘の帰りが遅いので心配する。薄暗くなってから、走って元気に戻ってきた。居残りの友達を待っていたという。宿題しなさい、と言いながらランドセルをあけると、刷りたての学校新聞が中から出てきた。
父の誕生日。今日届くように日本酒を贈ったら、母から御礼の電話が来た。母に電話をかけろ、と言いつつ、自分で話す気はない父の横顔が受話器の向こうに感じられる。波風が立たないよう早々に切った。自分はまだ完全には寂しさをぬぐえないからだ。父の伏し目が私の最初の出発点だったように思う。私は私の事情で生きている。父には来年もお酒を贈ろう。
水曜、ストレッチ。B先生の手順を覚えてきたので、考えなくても次の動作に入れるようになった。まだ完全には出来ないけれど、身体の芯があたたまる感覚が気持いい。
力を入れて生きればいいのか、力を抜いて生きればいいのか、迷いは次第に深まっている。越えるとは具体的に、その事について具体的に考えていくという作業である。自分の方法で。瑣事でいいのだ、この瑣事は私の人生の全てなのだから。買い物袋にねぎをぶら下げて、ぼうっとして歩く。マンションの階段を一歩ずつ上がる。上り階段の先に待っているのは回帰なんだと思ってみる。自分の外に出られる訳じゃない。自分が来た場所を探しに、らせんを上っていく。本来の力を出す、というのは不思議な言葉だと思う。
水曜、ストレッチ。B先生の手順を覚えてきたので、考えなくても次の動作に入れるようになった。まだ完全には出来ないけれど、身体の芯があたたまる感覚が気持いい。
力を入れて生きればいいのか、力を抜いて生きればいいのか、迷いは次第に深まっている。越えるとは具体的に、その事について具体的に考えていくという作業である。自分の方法で。瑣事でいいのだ、この瑣事は私の人生の全てなのだから。買い物袋にねぎをぶら下げて、ぼうっとして歩く。マンションの階段を一歩ずつ上がる。上り階段の先に待っているのは回帰なんだと思ってみる。自分の外に出られる訳じゃない。自分が来た場所を探しに、らせんを上っていく。本来の力を出す、というのは不思議な言葉だと思う。