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人間になればよかった...
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娘が元気と病気の中間くらいな風邪をひいた。突然嘔吐して、けろりとしている。心配で額に手をやると嬉しそうに見ている。行く筈だった茨城を取り止めて様子を見ることにした。お腹がすいた、桃缶が食べたい、食べたい、と私にせがむ。昔の子供じゃあるまいし、桃の缶詰は古いと思うが、洋服を着替えて商店街に買いに行った。
子供と付き合う時、自分が昔してもらった事を正確にひたすら繰り返している。おかゆだとか、水枕だとか、親の優しさがどうしてあれほど嬉しかったのだろうか。年末で賑わっている店内に入り、値段が高騰した野菜類を通り抜けて、75円の白桃の缶詰を買った。あの子こんなもの本当に食べるのかな、と疑問に思う。こんなものがどうしてあれほど贅沢で、幸福だったのだろう。
家に着いて缶をあけると、娘は、おいしい、でも、ほんとうの桃の方がよかったなあ、と言って大半を食べずに残した。病気という事実を忘れて、思わず娘の肩をぐらぐら揺らした。
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今年最後のバレエを習いにI駅へ行く。普段と同じ手順で繰り返しこつこつ練習する。続けているうちに、筋力が少しずつついてきた。ストレッチ教室のB先生は、最低10年はやらないとバレエは判りません、と言っていたっけ。そうすると、あとたった6年こつこつするだけで、バレエの欠片が判るようになるかも知れない。むしろ希望だ。短い、短い。
駅のホームを歩きながら、自分の身体の地下で流れている水脈を意識する。表面の上下する感情の波には関係ない固有の音。水が、とくとくいっている。
夕刻、おぬまさんと年賀状を作る。印刷を無事に済ませて、オレンジ色の看板に様変わりした郵便局へ出しに行く。年末の人の動きは慌ただしい。集められた葉書が、ごとん、ごとんとポストの底に落ちている。
一歩も外へ出なかった。この日記だけが唯一したことだ。
娘の冬休みが今日から始まった。休みだ、今日はなんにもしないと決めて、全身弛緩して、楽なことばかりして過ごした。エネルギーを溜めている気分でいたら、朝昼夜、全部をすっとばして、日記の時間がダッシュで走ってきた。自分の報いで、時間の経過のスピードがいつもの三倍早く感じる。自分への見張りが足りなかったのだ。エネルギーどころか、単に眠っていただけなのに。
時間は素通りして終わっていく。頬杖をついて、しばらく自分の字を見ていた。自分自身にノーコメントだ。こんなに後悔した夜はない。
クリスマス当日。スノーマンは鏡餅へと姿を変えようとしている。師走です、もう今年もあと僅かですね、等という日本的な叙情に訴えるニュース映像を眺めながら、洋風から純日本風に生活イメージを切り替える困難を今年も思う。衣替えのように心の服を着替えなくてはいけないのだ。私は無節操だ。愛している、日本。滅びそうで、滅ばない国。
今日は、私達夫婦の結婚記念日だった。九年目に突入した計算だ。式も記念写真も何もしないで現在に至る。おぬまさんとお互い何も言わず、むしろその話題には触れないように、もぐもぐと鍋をつついた。
娘の熱が下がった。よかった。
夕方に東京に戻る。個人的には普段と同じ日だ。街路樹は無数のLEDライトで輝いている。ピザ屋の前を通ると、ちょうどサンタクロースが4、5人出てきてバイクに乗るところだった。
おぬまさんが仕事で不在だったので、娘と二人で夕食をとった。信仰もないのだけれど、ハーブチキンを焼いた。恐らくは厳粛な日に、日本の風習としてお祭り騒ぎを皆と過ごすことに、娘の為に愛情をこめたプレゼントを届けることに、ひそかに恐れを抱いている。私はクリスマスを怖がる者として、この先も変わらず暮らしていくことになると思う。
娘が眠ったかどうか、そうっと部屋を覗く。驚いたことに、彼女は本物のサンタクロースが来るかと、薄目をあけて待っていた。来ないの、と言って泣いている。早く眠ってくれたらいいのだけど。
夕刻から、娘が病気の症状を表した。興奮した時に発生する頭痛のようでもあり、アイスノンで冷やすと気持よさそうにしている。彼女は今夜のクリスマスパーティーのチキンもケーキも食べなかった。
添い寝をしたら、苦しげな呼吸が直に聞こえる。手を握ると、心になるべく静かなものを意図的に思い浮かべた。森林。花畑。海岸。風の吹かない湖など。馬鹿げているようだけど、自分を安心させ、娘にそれが伝わるようにといつもそうする。娘はまるで体内にいた記憶が残っているかのように、私の不安に感応する。心配だ、愛している、という泣きたい気持を正直に思うより、大丈夫、絶対に治る、という気持で娘の手を握ると、娘はいつも強く握り返してくる。読み取るのだ、と自分は感じている。そして、それが成功したかどうか判らないままに、娘は眠りについてくれる。
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