つくづく仕事に自信がないタイプの人間だ。書き始める前は常に不安を感じる。入口がまるで真黒い洞窟のようだ。こんちはー、と声をかけると、実に薄気味悪い、動物のような咆哮がかすかに返ってくる。怪物起きてるよ。びびってしまう。楽しいだとかやり甲斐があるだとかは、うまくいけば楽しいし、いかなければ瀕死の重傷だ。最悪は…最悪の時だってある。万一失敗したら?頼んだ人をがっかりさせるなんて?何もやらない方がましじゃないかな?
まあそうびびらずに。目をつむると余計に怖いから。失敗して食べられる時は、自分から身を差し出して合掌しよう。先日テレビで観たライオンに組み付かれたシマウマは、完全に気絶して、すでに痛くもなさそうだった。
神道について資料を読んだりして、この夜を過ごす。まだ企画書の紙は八つ折りのまま。
まあそうびびらずに。目をつむると余計に怖いから。失敗して食べられる時は、自分から身を差し出して合掌しよう。先日テレビで観たライオンに組み付かれたシマウマは、完全に気絶して、すでに痛くもなさそうだった。
神道について資料を読んだりして、この夜を過ごす。まだ企画書の紙は八つ折りのまま。
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書き物の仕事をしないといけない。下準備を始める。監督から送られたあらすじを読む。どんな話で、どう終わるかが、堅い四角い文章で書いてある。紙をカメラアイのように遠目からはっきり眺めて、第一印象を覚えておく。それが全ての作業のベースになるからだ。どこに違和感があって、どこが熱っぽく書かれていたかもその時覚えておく。もし何の印象も残らない紙であった場合、引き受けると苦労は倍以上になる。労多くして功少なし。
あとはその紙を下に敷いて、昼寝をしたり、枕の隙間に入れたり、鞄に入れたり、台所に持ち込んだりする。あんまり読まないこと。二つ折りにしたり、四つ折りにしたり、八つ折りにしたりして、それとなく身辺に置いておく。
仕事中は、気になっていた本が読みたくてたまらなくなる。未見の映画も同様。それは現実逃避なので、実際に読んではいけない。時間を大きくロスするだけだ。知っていても読んで、案の定ロスする。この時点では、ご飯は普通に食べられる。
あとはその紙を下に敷いて、昼寝をしたり、枕の隙間に入れたり、鞄に入れたり、台所に持ち込んだりする。あんまり読まないこと。二つ折りにしたり、四つ折りにしたり、八つ折りにしたりして、それとなく身辺に置いておく。
仕事中は、気になっていた本が読みたくてたまらなくなる。未見の映画も同様。それは現実逃避なので、実際に読んではいけない。時間を大きくロスするだけだ。知っていても読んで、案の定ロスする。この時点では、ご飯は普通に食べられる。
寝不足にはどうしても勝てない。私は時々脚本の仕事をして家計を助けているのだが、朝起きると主婦の気分、深夜になると仕事気分、などどいう器用な暮らしはとうとう実現しないということが判った。日常生活は高度な虚構だ。物を書く意思は原始人への退行だから、主婦の仕事は原人では出来ず、物を書く仕事はきちんとした暮らしと反発するといった具合で、どうにもやるせない。
物を書く時は、どうして世間の目などを気にしていられようか。真っ暗闇の映画館に一人で座っていて、目の前には巨大な白いスクリーン。さあ、まだ誰も見たことのない映画を今から二時間、最初から最後まであなた一人で夢想しなさい、と言われているようなものだ。どうしたらいいか。脚本を書くというのは、そういう作業なのだと思う。そしてそれは、昼の明るい時間と共存するには、相当へんてこな力だ。
物を書く時は、どうして世間の目などを気にしていられようか。真っ暗闇の映画館に一人で座っていて、目の前には巨大な白いスクリーン。さあ、まだ誰も見たことのない映画を今から二時間、最初から最後まであなた一人で夢想しなさい、と言われているようなものだ。どうしたらいいか。脚本を書くというのは、そういう作業なのだと思う。そしてそれは、昼の明るい時間と共存するには、相当へんてこな力だ。