小学校の地域班の集まりに参加する。地震や台風が来た時に集団下校するご近所の子供達とお母さんの班だ。私はご近所付き合いが不得手で、とにかく木陰にずっと立って、娘が子供達に混じって遊ぶ様子を2時間くらい眺めた。眺める他することがなく、とりとめのないことを考えた。一昨日の発作が軽くて本当に良かった、と何度となく思う。急病や事故で急死する人はあんな風に問答無用で殺されるのだろうか。普段の平たい時間と、こわい時間が重なって、街を眺める心の遠近感がちょっと狂ってきた。あの直後、生きているだけで全目的を果たしている、ということが判った気がして、別れは何回言っても言いすぎることはないこと、服や食べ物や欲しい沢山の品々、願うことはすべて私の手元に残らないのだ、と思ったのだけど、今日はもうすでに日常の、なにもかもが当たり前の無感覚に戻っていく気がする。特徴のない校庭を眺めていたら、土のあちこちに突然スプリンクラーの蛇口が現れ、子供達の喜ぶ声とともに、円を描いて散水し始めた。
PR