なにから日記を書いていいのか、混乱した一日だった。
朝9時に家を出て、家族と近所のプール施設に泳ぎに行った。バタ足もよく出来ない娘の為に相棒が計画したのだった。天候はよく、水の色は明るく、人は溢れかえっていたが、多くのカラフルな浮き輪に挟まれて、家族でいつまでも水遊びをしていた。昼過ぎにH町駅の友人からメールがあり、彼女が自力で危機を脱した事、もう心配いらないとの内容が書かれてあった。なにか喜びだけを抽出したような水の色に、重い肩の荷が一つ下りた気がした。
帰りに、自分の住む駅へ戻り、娘の好物であるもんじゃ焼き屋さんで食事をしていたら、体調が急変して、座っていられなくなった。生まれて始めて、自分の為に救急車を呼ぶ必要を感じた。料理はまだ残っていたが、家族に身体を支えてもらって、家までようやく帰ってきた。
楽しい一日が台無しになったことを、家族は咎めもせずに細々と看病してくれ、相棒は脳貧血ではないかと冷静に世話をしてくれた。いつの間にか長く眠っていたが、深夜に目を覚ましたので、これを書き出した。体調は眠る前に比べると随分良くなっている。日記も無事書けたし、これを書いたから、また安心して休めそうだ。
朝9時に家を出て、家族と近所のプール施設に泳ぎに行った。バタ足もよく出来ない娘の為に相棒が計画したのだった。天候はよく、水の色は明るく、人は溢れかえっていたが、多くのカラフルな浮き輪に挟まれて、家族でいつまでも水遊びをしていた。昼過ぎにH町駅の友人からメールがあり、彼女が自力で危機を脱した事、もう心配いらないとの内容が書かれてあった。なにか喜びだけを抽出したような水の色に、重い肩の荷が一つ下りた気がした。
帰りに、自分の住む駅へ戻り、娘の好物であるもんじゃ焼き屋さんで食事をしていたら、体調が急変して、座っていられなくなった。生まれて始めて、自分の為に救急車を呼ぶ必要を感じた。料理はまだ残っていたが、家族に身体を支えてもらって、家までようやく帰ってきた。
楽しい一日が台無しになったことを、家族は咎めもせずに細々と看病してくれ、相棒は脳貧血ではないかと冷静に世話をしてくれた。いつの間にか長く眠っていたが、深夜に目を覚ましたので、これを書き出した。体調は眠る前に比べると随分良くなっている。日記も無事書けたし、これを書いたから、また安心して休めそうだ。
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