バレエの稽古では、変人の自分も許されている気がする。夢見る夢子ちゃん、と棘のある声が胸のなかでうるさく鳴っているのだが、バレエの真面目さは、そういう惨めな時間を追い払ってくれる。別段、悪意を発揮した覚えもないのだが、在りようだけでも誰かの敵になることはある訳で、そのような場合、視界に入らないよう、なるべく離れるのが配慮のつもりで、ずさーっと後ずさるのだけど、ひとたび悪に認定されれば、なにをやっても、どう振る舞っても、相手は苛立ちをつのらせるばかり、しかしそれは不機嫌ということで、相手も理由を言わないものだから、なんだ、私の顔かたち、あるいは声の語尾の出しようか、ぬりかべのような背中か、いったい何が、気に障るのか、つまりは存在するなというか。
皆、口に出さないだけだ、もうひとつの世界のことを。それならそれで、もうひとつの世界では、書いたり、踊ったり、お喋りすることは、許されようか。
皆、口に出さないだけだ、もうひとつの世界のことを。それならそれで、もうひとつの世界では、書いたり、踊ったり、お喋りすることは、許されようか。
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