もう夏と呼んで差し支えないお天気の下、茨城の畑できゅうり2本もぐ。それを直に鞄にいれてもらい、帰りの特急に乗り、あれっなんか細長いものが入っている、と思ったら、割れてふたつになっていた。東京と茨城を行ったり来たりの往復暮らし、何年でも長く続けば続くだけ良い事だ。それは私の家族の健康状態が変わらないことの証なのだった。きゅうりは、おつけものにすれば食べられるだろう。
ここ一ヵ月間くらい、一日の質の違いが見えなくなっている。三日前の出来事が思い出せなくなった。明け方に何故だか心臓の不調で目が覚めることも増えた。昨日も覚めた。時期のせいとも思えない。たぶん、この日記のせいなのだろうと思っている。日常の些末な材料で、ただ更新を続けることが本当に何かのためになっているのか、と自信がなくなってきた。世界は象の何千倍も頭のいい人達が山のようにいて、有益なことを沢山書いている。自分は割れたきゅうりを眺める。自分に飽いたら、自分に失礼ではないだろうか。いつから有益なことを書こうなんてさもしい事を考え始めたのか。毎日更新の手垢が、一年続けたことで溜まってしまったのだろう。今日は念入りに手を洗って、眠らなくては。
ここ一ヵ月間くらい、一日の質の違いが見えなくなっている。三日前の出来事が思い出せなくなった。明け方に何故だか心臓の不調で目が覚めることも増えた。昨日も覚めた。時期のせいとも思えない。たぶん、この日記のせいなのだろうと思っている。日常の些末な材料で、ただ更新を続けることが本当に何かのためになっているのか、と自信がなくなってきた。世界は象の何千倍も頭のいい人達が山のようにいて、有益なことを沢山書いている。自分は割れたきゅうりを眺める。自分に飽いたら、自分に失礼ではないだろうか。いつから有益なことを書こうなんてさもしい事を考え始めたのか。毎日更新の手垢が、一年続けたことで溜まってしまったのだろう。今日は念入りに手を洗って、眠らなくては。
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