土曜日、茨城。運動会やインフル騒動で3週間も来なかったから、義母は本当に嬉しそうで、栗ご飯とけんちん汁をたっぷり用意して待っていてくれた。留守にしている内に、私の心境には変化が起きて、というか、楽ちん虫が頭をもたげて、月に一度位の訪問にさせてもらおうかなあ、と思い始めた。それは端がない輪のような自問自答で、迷いながら七年続けてきたことでもあるし、よくよく考えて決めようと思う。留守中どうでしたと聞くと、なんにも大きな変化はないよ、と義母は笑って言った。自然だけが移行して、枯れ色になったさつまいもの葉や、赤く色づいた柿など、実りの秋といった庭の景色になっていた。久しぶりに草達と再会して、相談したいような気持で草刈りをした。
娘の新しい担任のH先生は、多少強引でも上から押さえつける形でクラス運営を開始したようだ。先生自身のお話や冗談なども一切なく、今はとにかく最初が肝心ということで厳しく当たっている様子で、長期的なスパンで見れば、とても不安なスタートに自分には思える。だけど、どうして先生を責められるだろう。すでに一人気に入らない教師を追い出すことに成功している子どもたちだ。先生だって命がけの筈だ。私語を止めない子ども達がまた出始まったと、娘から現状を聞いた。学級崩壊は大半の子どもにとって楽で気ままなパラダイスなのだから、そう簡単に行動を改める気にはなれないだろう。憎むべきは辞めた先生のご病気である、先生に罪はない、子どもたちにも罪はない、保護者にも罪はない、と円く収めたところで、何の教訓が学べるだろう。