Rくんが、飲み会の延長でわが家にやってきて、朝、居間で寝ていた。バレエを踊りに行って、お昼に帰ってきたら、帰る途中らしいRくんが、相棒とふたりで歩いていた。横断歩道の信号が赤になったので、道路をはさんでお互いの姿を眺めた。Rくんの頭には寝癖がついていた。青信号になって、帰り道に会えてよかった、と声をかけたら、Rくんは文学的な事をひそひそと耳打ちして、じゃあまた、と言った。
家に着いて、誰もいない部屋に行き、冷えたお茶を飲んだ。Rくんは、会う度に、今あなたはなにしてるの?と聞いてくる。飲み会のたびに。いろんな人にも聞いている。飲み会のたびに。私はRくんの10分の1も本を読んでいない。毎日勉強しなければ、Rくんに、今勉強してるよという返事が出来ない。
家に着いて、誰もいない部屋に行き、冷えたお茶を飲んだ。Rくんは、会う度に、今あなたはなにしてるの?と聞いてくる。飲み会のたびに。いろんな人にも聞いている。飲み会のたびに。私はRくんの10分の1も本を読んでいない。毎日勉強しなければ、Rくんに、今勉強してるよという返事が出来ない。
小学校の地域班の集まりに参加する。地震や台風が来た時に集団下校するご近所の子供達とお母さんの班だ。私はご近所付き合いが不得手で、とにかく木陰にずっと立って、娘が子供達に混じって遊ぶ様子を2時間くらい眺めた。眺める他することがなく、とりとめのないことを考えた。一昨日の発作が軽くて本当に良かった、と何度となく思う。急病や事故で急死する人はあんな風に問答無用で殺されるのだろうか。普段の平たい時間と、こわい時間が重なって、街を眺める心の遠近感がちょっと狂ってきた。あの直後、生きているだけで全目的を果たしている、ということが判った気がして、別れは何回言っても言いすぎることはないこと、服や食べ物や欲しい沢山の品々、願うことはすべて私の手元に残らないのだ、と思ったのだけど、今日はもうすでに日常の、なにもかもが当たり前の無感覚に戻っていく気がする。特徴のない校庭を眺めていたら、土のあちこちに突然スプリンクラーの蛇口が現れ、子供達の喜ぶ声とともに、円を描いて散水し始めた。
なんとなく調子は悪いなりに回復していた。昨夜はきっと相棒の言うとおり、脳貧血でも起こしてしまったのだろう。家族に心配をかけて、楽しい一日を台なしにしてしまった。お店の雰囲気も悪くしてしまったに違いない。身体の変調があればおっくうがらずに病院へ行こう。あまり良いサインではないことは間違いないのだから。
今日は人と約束があり、中止にしようか迷ったが、手帳の予定にしたがって待ち合わせたS駅へ出発することにした。元同期の悪友Tとは、H町の親しい友人と並んで在学中もっとも親交の深かった一人で、三年ぶりの再会。喫茶店で話していたらH町駅からメールが来たので、急きょH町駅まで移動して三人再会を果たした。お互い話すことは沢山ある筈なのに、深刻な話は一言もする気になれなかった。それぞれ、どうでもいい話ばかりして昔のように笑い、吐き気を訴えるH町の友人と別れ、悪友Tはアイドルのコンサートに向かい、私は電車に乗って帰ってきた。
今日は人と約束があり、中止にしようか迷ったが、手帳の予定にしたがって待ち合わせたS駅へ出発することにした。元同期の悪友Tとは、H町の親しい友人と並んで在学中もっとも親交の深かった一人で、三年ぶりの再会。喫茶店で話していたらH町駅からメールが来たので、急きょH町駅まで移動して三人再会を果たした。お互い話すことは沢山ある筈なのに、深刻な話は一言もする気になれなかった。それぞれ、どうでもいい話ばかりして昔のように笑い、吐き気を訴えるH町の友人と別れ、悪友Tはアイドルのコンサートに向かい、私は電車に乗って帰ってきた。
なにから日記を書いていいのか、混乱した一日だった。
朝9時に家を出て、家族と近所のプール施設に泳ぎに行った。バタ足もよく出来ない娘の為に相棒が計画したのだった。天候はよく、水の色は明るく、人は溢れかえっていたが、多くのカラフルな浮き輪に挟まれて、家族でいつまでも水遊びをしていた。昼過ぎにH町駅の友人からメールがあり、彼女が自力で危機を脱した事、もう心配いらないとの内容が書かれてあった。なにか喜びだけを抽出したような水の色に、重い肩の荷が一つ下りた気がした。
帰りに、自分の住む駅へ戻り、娘の好物であるもんじゃ焼き屋さんで食事をしていたら、体調が急変して、座っていられなくなった。生まれて始めて、自分の為に救急車を呼ぶ必要を感じた。料理はまだ残っていたが、家族に身体を支えてもらって、家までようやく帰ってきた。
楽しい一日が台無しになったことを、家族は咎めもせずに細々と看病してくれ、相棒は脳貧血ではないかと冷静に世話をしてくれた。いつの間にか長く眠っていたが、深夜に目を覚ましたので、これを書き出した。体調は眠る前に比べると随分良くなっている。日記も無事書けたし、これを書いたから、また安心して休めそうだ。
朝9時に家を出て、家族と近所のプール施設に泳ぎに行った。バタ足もよく出来ない娘の為に相棒が計画したのだった。天候はよく、水の色は明るく、人は溢れかえっていたが、多くのカラフルな浮き輪に挟まれて、家族でいつまでも水遊びをしていた。昼過ぎにH町駅の友人からメールがあり、彼女が自力で危機を脱した事、もう心配いらないとの内容が書かれてあった。なにか喜びだけを抽出したような水の色に、重い肩の荷が一つ下りた気がした。
帰りに、自分の住む駅へ戻り、娘の好物であるもんじゃ焼き屋さんで食事をしていたら、体調が急変して、座っていられなくなった。生まれて始めて、自分の為に救急車を呼ぶ必要を感じた。料理はまだ残っていたが、家族に身体を支えてもらって、家までようやく帰ってきた。
楽しい一日が台無しになったことを、家族は咎めもせずに細々と看病してくれ、相棒は脳貧血ではないかと冷静に世話をしてくれた。いつの間にか長く眠っていたが、深夜に目を覚ましたので、これを書き出した。体調は眠る前に比べると随分良くなっている。日記も無事書けたし、これを書いたから、また安心して休めそうだ。