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人間になればよかった...
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朝は平気で、夕方まで元気だったんですが。
自分の文が、遠い。寒気がする。調子が悪いです。お腹が痛いです。これはもうあかーん 
苦しまぎれに、最上のことを思い浮かべる。頭を停めよう。最上のこと。きらきらと光りながら降ってくる金。違うか?無限に落ちてくる白い花。違うような。最上のことは、頭痛の存在しない世界だ。頭痛ごときでこんなに大変なのだから、今夜この先はもっと大変。
雨の日も風の日も頭痛の日も皆さんに駄文をお届けします。
本日はこれにて。どろん
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電源が飛んだ。家が真暗になった後、再び全ての電気がついた。青ざめてパソコンのスイッチを入れ直すと、本体は無事だった。その代わり、書きかけの駄文は御臨終だった。
今日東京では雷で電車が停まったそうだ。ここ茨城でも今夜はまともに雨に叩かれている。畑にとっては最高の雨だから、今ごろ農家の人達が大喜びしているだろう、とおぬまお母さんが言う。実感はないが、自分達もミニ畑を作っているので、そう思うと、根に力をいれて水を吸い込んでいる音が聞こえてくるようだ。
夜ごはんは天ぷら。万一雷が落ちても家電を壊さないよう、電灯を消し、テレビも消して、薄暗い中で天ぷらを食べる。雷は派手に鳴って、窓の外を時々真白にする。天ぷらも白く光る。
昔、おぬまお母さんが若い時に、5メートルと離れていない場所に雷が落ちたことがあるそうだ。その頃お母さんはガソリンスタンドで働いていて、雷は機械に落ちたらしい。お母さんが言うに、目の前に、天から一直線に、すう、と青い光がおりてきた。ガスの火そっくりで、熱くもなく、何の音もしなかったと言う。一方、同時刻にすぐ側のスタンド内から見ていたおぬまお父さんは、天地を揺るがす大轟音とともに、足元にものすごい振動を感じたそうだ。耳がしばらく聞こえなくなった程の音だったという。あれだけの轟音の近くにいて、お母さんには音一つしなかったのがとても不思議だったと、後々まで家族の語り草になったとの話。
バレエがやりたくてたまらない。鏡の前で立ったりしゃがんだり。体中の筋肉がゆるみきって、常に重たい服を着ている感覚だ。数えてみると、レッスンを3週間していない計算になる。こんなに長く空けた経験は初めてなので、わずかな筋肉も皆脂肪にかえってしまったのではと心配になる。音楽聞きたい。肉の服脱ぎたい。指先をひらひら動かしていたら、おぬまお母さんに後ろから見られた。
今日は、近所のゴミ処理施設に古いお布団を捨てに行った。この地域では家庭ゴミを自分達で運送しても良くて、重量が度を越していなければ、処理代もかからないそうだ。箪笥で眠っていた膨大な数の毛布を力任せに引っ張りだす。布団はぺちゃんこの形のままだ。ワゴン車に詰めるだけ詰めこむ。積極的に身体を動かそうと思い、つま先立ちで毛布を運んでみる。これで少しはバレエ筋が復活しただろう。
運転していると、布団で後ろのミラーが見づらい。うもれるようにお母さんが座っている。助手席の娘が歌をうたう。おぬまお母さんも調子を合わせる。田んぼは緑から黄色に変わってきている。茨城がだんだん第二の故郷のように、馴染み深い場所になってきた。何故今までこんな穏やかな風景を見て、胸が苦しくなっていたのだろうか。
テレビを見ていると、高齢のコメディアンが泣きながら歩いていた。チャリティー募金を募る番組が、昨夜知らないうちに放送されて終わっていたらしい。膨大な寄付金が集まったとの話だ。このような番組が偽善かどうかは様々な考え方があるのだろうけど、実際に寄付金が集まっている現状においては、議論の余地はないのだろうと私は考える。悪い動機でも良い結果を生んだなら、それは良い行いとしか言いようがない。筋道を立てて考えても、テレビは駄目だ。テレビだけは、それが駄目なのだ。石ころを石ころとだと言っても、無駄な世界なのだと思う。最後まで走ったコメディアンは、石ころから黄金を作ることが出来る、希有な才能がある人だ。
映画はテレビとまるで違う。機動性を重視するテレビ人は、映画人の「本物さがし」のとろい作業にいらいらしている。すこぶる相性が悪い。テレビに慣れた人は、勘の悪い野暮天な映画人を軽蔑しているように思う。映画は石からは始められない。うまく書けないが、石からは出発できないから、テレビではなく映画をやりたいのではないだろうか。今はそう思うのだ。
焦りなのか、後悔なのか、奥歯をかみしめてばかりの日。
胸の奥で解決しない感情、ぼーっと痛い感じは、私に何かを教える信号なのだ。どういう意味の点滅だろう。痛いだけで、さっぱり見当もつかない。

私はベソをかきながら、煙草を吸い、It’s my life
と、日本人のくせに、英語でつぶやいて、
このまま自己流で迷う道を選ぶ。
車を運転していると、緑の田んぼが夕暮れの光を浴びているのが見えた。分厚いセーターを着せられた案山子が立っている。あんなニセもの丸出しの姿で本当に雀がだまされるのだろうか。
気温が下がり、ゆるゆると楽に過ぎてくれた日。気がついたら夕刻だ。時間が沢山ある。娘は健康で、お母さんとの関係も穏やかだ。余裕の貯金が増えている。こんな日もあっていいとは思うが、九月に入れば急に時間が短くなるのだから、今のうちに自分の宿題をやってしまわなければいけない、と運転しながら焦りを感じる。
バレエでは基礎訓練を続けないとある表現の粋に達しない。東京の自宅の裏にある柔道場も、毎日投げたり投げられたりする音がしている。スポーツの世界はそうだ。文章家だけが特別なひらめきを頼って済ませていい筈がないと思う。文章を生業とする気なら、一冊の本も読まなかった今日は、気を抜きすぎた、という感が否めない。
自分に勝つことは難しい。自分に負けることは、いつだって快楽だった。後悔という存在さえなければ、人生は負けた方がだんぜん楽しいものらしい。
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