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人間になればよかった...
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三週間ぶりに、バレエを習いにI橋駅へ。
ごく普通の信用金庫の二階で、未経験者ばかりで踊る素人バレエである。それなのに、この胸の高鳴りは何だろうか。少し落ち着けよ、と思う。肩の力を抜いて行こう、とドアの前で暗示をかける。
久しぶりのレッスン。先生に挨拶する段階ですでに嬉しい。練習着に着替える間も、あー、嬉しいなあと思う。むっちりと肥った背中に、レオタードを無理矢理着る感じ。
軽やかな音楽に合わせて少しずつ基礎を繰り返す。案の定、少しも踊れない。踊れないけれど、思わず笑ってしまう位楽しい。バレエって面白いなとしみじみ思う。たぶん飽きたという理由で止める可能性は今後もないだろう。こんな動作の一体何が好きなんだろう。何がって……色々面白い。はっきりいって、痛い。大ざっぱな性格の人は上達しない。長く続けると迷いばかりになる。持病持ちになる。障害だらけだ。素人をよせつけない厳しい塔なのかも知れない。それでも、私はバレエがとても好きだ。
身体は隅々まで意識が届くと、それだけで気持がいい。肉体の動作を無心で型に合わせてやっているうちに、何故だか童心に戻っていくような開放感を感じる。
心から、バレエに深く深く、頭を下げて、今日のレッスンはおしまい。
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東京の自宅で、のろのろと陸ガメのように起き出す。長く留守をしていたので、埃や水垢など、気になる汚れを徹底的に掃除したい。掃除は好きな性分なのに、今日は身体が石のように堅くて、全然動きたくない。水垢を見つめて、雑巾を握りしめたまま、5分くらい経過。陸ガメは海に帰ってきた。じゃなくて寝室に帰ってきた。娘はママ寝ないで、と肩をゆさゆさ揺さぶる。寝ない、寝ない、と言いなからお昼に眠る。
お葬式を見たのは自分にとって有意義な機会だった。私は惜しまれずに死ぬ。誰の記憶にもあまり残らないだろう。私は一生懸命やったが、人間としてはあまりに勘が悪すぎた。私はどのように生きたいのだろう。正しい事を主張して死ぬ?感じた事を記録して死ぬ?それは死に方でしかない。生き方とは何だろう。
冷蔵庫をあけると空だ。お米も味噌も醤油もない。夜ご飯の時間が来ても買い物には行かずに、雷の鳴り響く外を眺める。雨が降ってきた。雨は降りたいように降ってくる。寝る勇気、やめる勇気、力を抜く、後ずさり、バック転。
長い長い待ち時間のあと、ストレッチャーに乗せられて、出来たてのお骨がやってきた。葬儀屋の係員は必要以上にきびきびと指示する。何百体ものお骨を処理してきた自負だろう。手際の良さが板についている。骨の部位を示し、この骨はどこそこ、と細かく説明する。係員は自身がいつか死ぬ日の事をあまり信じていないようだ。私もそうだ。せめて見ておこうとお骨を見つめる。お骨は何も語ってはこない。私はじっと見つめるふりをしていた。睨むような目付きだけだった。
周囲を見回すと、若い人も、老いた人も、子供も、皆それぞれお骨を前にして神妙な顔をしている。本当にこれが人の終着点だろうか、と心の底から疑問に思う。葬式が全ての終わりなんて、到底信じる事は出来ない。
綺麗な斎場から出て、蒸し暑い風の吹く中で青空を見上げると(斎場では何故か必ず雲を見てしまうのだった)色はあまりついていなくて、草原にはとんぼが飛んでいた。近未来のような灰色の建物から、喪服の人々がぞろぞろと出てくるのが見えた。
夕方、どこでもドアで東京に戻る。
ひとりで昼に出発し、どこでもドアで茨城へ。ただいま、というか一昨日までいたから、野菜や雑草の伸び具合も変化なし。
夕方、おばさんの自宅で親戚だけのささやかな通夜がある。部屋は二間しかない。玄関が狭いので、窓を入口代りにして行き来している。ほとんどお会いしたことのないおばさんだから、何の予備知識もないまま部屋を眺める。茶褐色の壁。古いカレンダー。やぶれた障子。二台あるテレビは一台が壊れたまま並べてある。折り紙で作ったボールや、チラシで織ったツルなどがぶら下がっている。
おばさんは長年一人暮らしで、倒れて半年ほど病院で生きてから亡くなったが、部屋は倒れた時のままになっていた。この通夜の為に親戚総出で掃除をしたら、手仕事の作品がゴミ袋いっぱい山のように出てきたという。全部燃やして処分したそうだ。
親戚の人達の会話は内容があまりよく判らない。じっと正座する。座っていると月が出そうな位置に、信号機の光が見えている。この家は道路のすぐ側だ。開け放した窓から信号の月がよく見える。どういう暮しだったのだろう。一人きりで何十年も。おばさんもここから信号を幾度となく見たに違いない。
帰り際、列に並んで自分も線香をあげる。私はお辞儀がいかにも下手だ。せめて気持を入れて拝んだ。おばさんの遺影は若い頃のものだった。
役員の仕事で学校に行き、沢山のかき氷を作る。PTAと青少年委員会共催でキャンプファイヤーが行われ、縁日のような活動を数カ所でやった。雪のような氷の山を、発泡スチロールの容器によそう。簡単な仕事だけれど、全校生徒分と保護者の分も入れて一体何個作ったのだろうか。今は目をつむっても、かき氷の色ばかりだ。
私は地域活動やPTAといった集団が苦手な質だ。昇級や給料のない上下関係は、みんな足並み揃える事でしか秩序を築けない。私は偏屈だから、揃えなさいよと暗に強要されると、何故だか判らないし、判りたくないし、なんだか厭だ。だけど、役員活動をやってみて考えは変わってきている。自分は強制的にお付き合いする機会でもなければ、新しいお母さんと友達になったりすることはない。だから外の風を入れてもらうには大変いい機会だ。それに世間には強引な人、気の弱い人、色々な人がいる。自分も色々な人のひとつの色として存在すればいいのだと段々判ってきた。
雪のように真白い氷にシロップをかけていく。青はブルーハワイ、緑はメロン、黄はレモン、赤はいちご。不意に自分の娘がやってきて、青を嬉しそうに受け取っていった。
暗がりでキャンプファイヤーを眺めていると、茨城のおぬまお母さんから電話をもらう。高齢の伯母さんの一人が病気で亡くなり、通夜をするとのこと。カラフルな色は途端に冷めて、頭がクロになる。急きょ喪服を用意して、明日の昼茨城へUターンすることに。
頭痛で一晩中うなされた。朝目覚めたら痛みは半減していて、昼からは通常の体調に戻っている。無理して書いても益がないらしい。あんなに死ぬほど痛い最中に無理して書いたところで、結果はこれか。混乱あざらしよ。体調不良の時は素直に穴をあけた方が良いのだろうか……。
小沼お母さんと別れて、どこでもドアで東京に戻る。我が家は驚く程せまく、こじんまりして物がなにもない。お客さん目線になって室内をチェックする貴重な機会だ。暮らしている時には気になって仕方ない細かな点も、他人から見るとそんなもんかな、である。この家には飾りが少ないなと思う。この三本指ブログの背景が何もないのと一緒である。もう少し愛想があっても良さそうなものだ。
久しぶりに生のおぬまさんと対面する。おぬまさんは何か影のあるクールな人になっていた。1時間ほどいると、お客さん感覚は消えてしまった。おぬまさんは少し肥っていた。
日記でもつけようと思い立ち上がると、娘が、ママ行かないで、もっと親子で会話をしようよ、と言う。茨城では殿様のように威張っていた娘も、東京に来ると甘えてすり寄ってくる。好きなお話していいよ、なんでも聞いてあげるから。娘がそう言うので、私は「この何もない部屋に、カーペットをひこうと思うのだが……」と話しかけた。娘は「そんな話か……」と言って、別の部屋に行ってしまった。
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