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人間になればよかった...
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大晦日に気絶したらしいおぬまさんの安否が不明のまま、さらに一昼夜過ぎた。幾度連絡をしても返信が無い。窓の外を見たら黒い鴉が枝に止まっている。東京の自宅で転がって動けないのではと思いはじめて、急に心配が現実味を帯びてきた。帰宅して冷たくなった父を見た時の、娘の衝撃はいかばかりか。八歳の彼女には耐えられまい。その時は彼女の目を素早くふさがないと……などと思案していたら、今朝メールが届いていた。『身体はなんともないので心配なく。』電報文のように短いが、紛れもない無事の知らせだ。しばらく眺めたあと、静かに携帯の蓋を閉じた。
今日は正月三日目で、世間はほぼ通常通りの動きに戻っていた。いつまでも浮かれてはいられないということで、義母と駐車場の草取り仕事などをした。身体を動かしていると、正月が今日で終わって良かったという思いが込み上げた。草をむしった後も晴天だったので、家の周りを十五周した。たぶんおせち料理の栄養が、ちょうど身体を駆け巡っているのだろう。
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茨城にいると、本当に家族以外とは誰とも話をしなくなる。庭の草があれば、眺めて暮すから不自由はないのだが、滞在が続くと独り言が多くなる。娘と家の周囲をぐるぐる、十周走ることにした。普段走る習慣は全くないので、正月から命を落とすのも恥ずかしいと思い、スピードはうんと遅く、競争しないと決めた。走り出してみると意外に気持良い。ランナーズハイのせいか、二人同時に笑いだした。隣で娘が狂ったように笑っている。よく判らない運動の風景だ。自分の体はバレエで培った筋力と肺活量がまるで釣り合っていなかった。足は走りたがり、肺は止めたがる奇妙な走り心地だ。娘は笑いすぎて五週もいかないうちに、歩きでいいよね、と言ってトコトコ歩いた。根性ないなと思う。さまにならない。茨城の天候が良い時はなるべく走るようにしよう。毎日少しずつ良くなるように。
深夜の討論番組を寝ないで聞いていた。論者達が眠たげな目付きになった頃、朝になって、雲が晴れて、青い空になった。2008年の到来だ。新しい年は、睡眠不足ではじまった。7時に寝て10時に起きると、義母と娘がお腹をすかせて待っていた。
遅い朝、お雑煮とおせち重をいただく。伝統食に至っては、娘はほとんど箸をつけない。義母はテレビを消すと、今日一日することもないし、近所の巨大ショッピングモールへ行ってくっか、と突然言った。元旦でとんでもない大混雑が予想されたから、尻込みしたのだが、家族2対1の多数決ゆえ、首を縦にふらざるを得なかった。
家族を乗せて、下手な車の運転をする。正月は魔の一日だ。どうしたらハレの日になるのか判らない。長い長い、長い車の列だ。巨大な駐車場、全部車。駐車場の一つの空き場所を捜し回って、迷走しながら、家族の為に目を皿にする。
皆、正月をどう過していいか困っている人達ばかりなのではないか。義母がこの大切な日を、意義ある日にしたいと欲したように。私は今日を最良と思えるように過ごそうと、焦っていた。
2007年、この数字の並び方が好きだった。未来にきている、という気がした。
『将来のことはけっして心配しない。すぐに来る。』(アインシュタイン)
『時間が経つのは、いいことだ。』(八才の娘)

今年一年、こんな小さな場所に来て下さった方に、御礼申し上げます。
どうぞ、良いお年をお迎え下さい。
悪天候、始まる。朝から雷が鳴り響いていた。ざんざんざんざん、屋根に雨が斜めに降ってくる。地面に出来た水たまりは、赤い金魚が泳いでもおかしくない程、池にそっくりだった。
自分の童話が収束するのを待った。障子の戸をぴたりと閉めて、これ以上見ないようにした。心の内側に向く矢印を外側に向けて、娘のコップに日本茶をいれた。自分の茶碗にも茶をいれた。湯がはねた。障子の向うでは金魚が、何千となく群れをなして泳いでいた。魚影はどうしようもなかった。水という水に内側の矢印がついていた。手元の茶碗にも、魚の白い腹が浮かんだ。
娘は、おはようと元気に起きてきた。病気と病人の関係は鬼ごっこに似ている。後ろ髪だけを掴ませて、娘は無事逃げおおせた。
年末も残り少ないが、大掃除はしないで、ごく普通の掃除をして済ませることにした。大掃除は何か溜めていたツケを払うみたいなイメージで、あまり好きではない。今夜から一週間ほど家を離れて茨城で過ごす予定だった。仕事で家に残るおぬまさんに、今年もお世話になりました、良いお年をお迎えください、と手をついて挨拶した。
電車の窓外は小雨で、ガラスの上から水滴が幾筋も伝ってくる。暗い窓に反射して映る人達は皆沈黙している。驚くほど静かな東京だ。
あと数日、過ぎていく今年の名残を心から惜しむ。自分にとってこの一年間、どんなに沢山の恩恵を受けたか計り知れない。
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