堅くなった言葉をほぐして、深夜にやっと日記。仕事のプレッシャーが始まったので、日記に影響してきた。運動も続けたいし、家事もしっかり、字の勉強もしたいのだけど、体力の残量が乏しくなっていく。自分の目盛り、というのが背中についてたらいいのに。外から見ても一発で判るのに。頭をどんどんと殴って、ようやく言葉をとばす。もう頭にこぶが出来ている。毎日更新は自分の趣味で、こぶも趣味なのか。仕事が来ると、容赦なくカウントダウンの〆切時間に向かって吸い込まれるので、支離滅裂になって、こぶどころでは済まなくなる。
こぶを撫でているうちに、知らずに2つに増えていた。分裂したらしい。なんでも出来る人間には憧れる。そんな人は存在しないのかも知れないが。
こぶを撫でているうちに、知らずに2つに増えていた。分裂したらしい。なんでも出来る人間には憧れる。そんな人は存在しないのかも知れないが。
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娘と二人で電車を乗り継き、小さなS駅の改札へ出た。お母さん友達のTさんは子供を連れて駅まで迎えに来てくれていた。久しぶりだね、とお互い言うのが精一杯で、なにか軽い調子の話をしながら、五分ほど歩いた先のTさんのご自宅に向かった。
温かいコーヒーをいただいていたら、時折背後でカナリヤが鳴いた。メスが一羽いて、無精卵の卵を抱いているらしい。籠の中を覗くと白い卵が見えた。何週間もこうしているんだけど、可哀想だから抱かせてるんだ、とTさんは優しい目をさらに優しくして笑った。
自分は考え違いをしていた。昨日は随分馬鹿なことを考えていた。必ず治癒する、私のような周りの者がTさんの敵なのだ。必ず治癒するのだと考える者だけが、ほんとうの覚悟を生きている。昨日の自分の浅はかな、諦念めいた態度を恥ずかしく思った。何も判っていなかった。Tさんにも御主人にも恥ずかしく思った。
子供達はずっと遊びたがったが、夕暮れが深まる前に帰ることにした。Tさんは私達の訪問を喜んでくれたようだった。Tさんと手をふったら、Tさんがこっちを見ているのか、私がTさんを見ているのか判らなくなりそうだった。
温かいコーヒーをいただいていたら、時折背後でカナリヤが鳴いた。メスが一羽いて、無精卵の卵を抱いているらしい。籠の中を覗くと白い卵が見えた。何週間もこうしているんだけど、可哀想だから抱かせてるんだ、とTさんは優しい目をさらに優しくして笑った。
自分は考え違いをしていた。昨日は随分馬鹿なことを考えていた。必ず治癒する、私のような周りの者がTさんの敵なのだ。必ず治癒するのだと考える者だけが、ほんとうの覚悟を生きている。昨日の自分の浅はかな、諦念めいた態度を恥ずかしく思った。何も判っていなかった。Tさんにも御主人にも恥ずかしく思った。
子供達はずっと遊びたがったが、夕暮れが深まる前に帰ることにした。Tさんは私達の訪問を喜んでくれたようだった。Tさんと手をふったら、Tさんがこっちを見ているのか、私がTさんを見ているのか判らなくなりそうだった。
東京の自宅に戻る。植木鉢の乾いた土に水をかけて、年賀状を娘と一枚一枚眺めた。相棒宛の沢山の仕事相手と、私宛の数少ない知人で構成された葉書の束だ。手が止まる。闘病中の御主人を看病しているお母さん友達のTさんからだ。彼女は事実を隠していた、私と彼女自身の為に事実をずっと言わなかったのだ。苦い味が口に溜まってきた。会いに行かなくては、と何度も考える。何度も考えているうちに、彼女が私に打ち明けたことの意味が重くのしかかってきた。
日常の時間が貴重なひとしずくだと実感する。究極のところ、いつでも失われるものの上で眠っているに過ぎない。
夜、帰宅した相棒と久しぶりに再会。挨拶もそこそこに、二人で仕事の話をする。原稿書きの手伝いを頼まれた。最低一ヶ月はかかるだろう。バレエやジョギングは出来なくなるかも知れないけれど、この日記だけは継続したい。
日常の時間が貴重なひとしずくだと実感する。究極のところ、いつでも失われるものの上で眠っているに過ぎない。
夜、帰宅した相棒と久しぶりに再会。挨拶もそこそこに、二人で仕事の話をする。原稿書きの手伝いを頼まれた。最低一ヶ月はかかるだろう。バレエやジョギングは出来なくなるかも知れないけれど、この日記だけは継続したい。
今日も家の周囲を15周走った。三日連続でやって、思ったより苦しくないものだと判った。子供の頃はマラソン大会が死ぬほど嫌いだったのだけど、それはスピードを調節する事を知らずに、全力走をスタートからゴールまで続けていたからだったのだろう。走るといえば喘ぐような呼吸困難の記憶しか浮かばなかったが、歩きたければ歩いてもいい走りとは、まったく別物なんだと知って嬉しくなった。これなら苦しくない。茨城だけでなく、東京でも場所を探して走ってみよう。
明日は東京の自宅に戻る日だ。カートに大量の荷物を詰めこんで、帰り支度を済ませた。夜、家族とおぬま弟さんとで、中心街のM市にあるレストランでフランス料理をご馳走になった。義母が計画してくれた大企画だ。計画した義母も緊張していた。目の眩むようなお料理を、ありがたく、おそるおそるいただいた。ナイフもフォークもぎらぎら光っていた。味は、ほとんど夢と同じだった。
明日は東京の自宅に戻る日だ。カートに大量の荷物を詰めこんで、帰り支度を済ませた。夜、家族とおぬま弟さんとで、中心街のM市にあるレストランでフランス料理をご馳走になった。義母が計画してくれた大企画だ。計画した義母も緊張していた。目の眩むようなお料理を、ありがたく、おそるおそるいただいた。ナイフもフォークもぎらぎら光っていた。味は、ほとんど夢と同じだった。