ねずみの運動

苦しい運動が終わった。３時間かかっていた。
自分はここまで進んでまた消して最初から、という命令にぞっとする。私は他人の領域と接触していないかも知れない。それでも、今夜はこうやって、ここまで来たのだから、もうこの運動をやめよう。次の日にまた続けていこう。

６月の雨

Ｓ先生のバレエ教室、雨でも休む気がしない。電車に揺られていると、こうやって稽古を続けている今がとても楽しいと思えてくる。踊っていると、あざらしさん今日は不調ね、と先生に言われて、すいませんと言うと、無理は禁物、出来る範囲でと笑顔で言われて、ああ、出来る範囲でいいんだ、と思う。固い靴の方は、今日は止めておきましょうとストップが出て、ふわふわと帰ってきた。
今日は変な感じの一日だった。でもなんだか、大切な日だったような気がする。きっと忘れてしまうけれど、もう来ない一日だったような気がする。
傘傘傘傘傘傘傘傘傘傘傘傘傘傘　
今日は、雨でした。　　　　
傘傘傘傘傘傘傘傘傘傘傘傘傘傘　　

柴犬

道を歩いていたら、犬に吠えられた。家に帰ると疲労を感じて、台所に仰向けになってみる。何もない天井、あんなところに火災報知器がある、あんな風にいるかいないか判らない風体で二十四時間働く人間になりたいものだ。ヤカンのお湯が沸いたので、起き上がって家族にお茶をいれた。
真っ当な心がけで暮らそうと決めた翌日は、決まって苦しい日記作業が待っている。未来の快感を先取りしてしまったように。それじゃ答えが足りないよと告げられたように。毎日だぞ、と犬は言った。犬には、わたしの間違いが判るのだ。

行かない

朝にＨ町の友人から電話。二人で相談して、今日は会いに行かないことにした。これで良いんだと思う。どんなに長期戦になっても、治るまでフォローする。自分がそのつもりで接すれば、彼女も安心して治療に専念できるだろう。長期にわたって良くも悪くもならない彼女の修羅場を、延々と、延々と行く可能性も、受け取るということなのだ。お互い失敗して人間なんてこんなもんだ、になるかも知れない。またそう簡単に心の領域の病が治るものなら、多くの人がらくらく生きていかれるだろう。大事なことは、彼女の存在が好きだと普通に思い、その法則で彼女を眺めるということだ。

雷に遭う

夕方、歯科の帰りに雷雨に遭う。治療を終えた娘と雨を避ける為にスーパーに入って、マーガリンなど買った。レジの前で並んでいると、轟音が鳴り、全員が同時に身をすくめた。レジの店員さんは、でも打ち間違えなかった。
外に出ると空が光り、あとに続く音で雷の大きさを知る。自分は雷で本当の怖い思いをした経験がない。いつか真隣に落雷を受けて命拾いした義母は、遠くで音が鳴っただけで蒼白になる。農家をしている親戚の叔父さん曰く、雷は金属に限らず、どこにでも落ちるそうだ。伯父さんが見たのは、何もない田んぼ地帯の、平たい水の上にいきなり落ちた。そこだけ稲に丸い穴があいたという。｢はー、雷の奴だって、もっと良いとこさ落ちたかったろうが、しかたなく水に落ちたんだっぺな。｣と言っていた。
雨が少し止んだので、娘と家まで走ることにした。前の道を傘をさして悠然と歩いている人がいる。傘の先端が金属だ。轟音が鳴り、また何処かに落ちた。東京は建物と人が沢山だから、ここに雷は落ちないだろうと思える街だ。

日曜日

家のバターが、とうとう尽きた。大切に１０グラムずつ切っていたが、最後の一切れがフライパンで溶けるのを見送った。もう当分は食べられないだろう。空き箱をしばらく眺めた。
暮らしは世界と繋がっている筈だけど、実感はバターの一切れだけで、窓をあけて、食事パンをこねていると、外は何事もなかったかのように静まっている。赤ちゃんの声がして、誰かが風呂に入っている音も聞こえる。知らない人達が同じマンションで暮らす日常の音だ。バターなしで焼いたパンを娘とおやつにして食べた。おいしいを連発する娘を眺めながら、日曜日らしい、いい日になったな、と嬉しくなる。
夕方になって、パソコンの新聞記事を見ていた相棒から、秋葉原で通り魔事件が起きていた事を聞く。パンを焼いていた頃だ。テレビをつけると、犯人が取り押さえられる瞬間の写真が映っていた。動機は社会への不満で、殺す相手は誰でも良かったとの供述。