神道について調べている。といっても読み易いものを二三、手をつけただけで、仕事をしているとは到底言いがたい。信仰は家庭環境や地域に慣れ親しんだ形が受け継がれていくケースが多いように思うが、日本人で北海道の辺境に育った自分の場合、信仰には心の仕切りがあり、神様と仏様は冠婚葬祭で交互に現れ、キリスト様は空にお住まいで、アラーの神様は遠方の国にといった具合に分かれている。そしてアイヌの神様まで考え出すと、歳を重ねても宗教観が統一されるという気配すらないのである。自分はご先祖様、他者、家族友人、地域の在り方を拒絶したくないという消極的理由から、全てを曖昧にとかし込むスープの中にたゆたうように暮している。神様を信じていないといえば嘘だが、その信じ方が、それぞれの神様の均等な配置を前提にして、きわどいバランスで並べていると言わざるをえない。
私の父は昔、白く光る銀色の狐を見た事があるそうだ。広い草原の真ん中がそこだけ発光していて、見たら狐の親子だった。普段見慣れた狐とはまるで違っていたらしい。それは本当の神さんに間違いない、お前は運がいいといって、祖父は神棚に酒を捧げ、家族総出で近所の神社に御礼のお参りに行ったそうだ。そんな父のせいで、実家の神棚はいつも大切にされていた。
私の父は昔、白く光る銀色の狐を見た事があるそうだ。広い草原の真ん中がそこだけ発光していて、見たら狐の親子だった。普段見慣れた狐とはまるで違っていたらしい。それは本当の神さんに間違いない、お前は運がいいといって、祖父は神棚に酒を捧げ、家族総出で近所の神社に御礼のお参りに行ったそうだ。そんな父のせいで、実家の神棚はいつも大切にされていた。
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