ここ茨城では話し相手がいないので、外郎売の練習や、算数の暗算、バレエのストレッチをして、頭がぼんやりとしてくるのを防ぐ。一日中同じ畳の部屋にいる。義母は70歳を過ぎて仕事をしているから、日中はいない。とにかく出来る事をして、外郎売を三回大声で唱える。近所迷惑ということがないから、幾らでも練習できるのが良い所だ。
今は夜で、さらに静まった窓外を眺めているのだが、頭が無音なのか、外が無音なのか、解らない程だ。しかし私はまだ本当の無音を聴いた事がない、心音がまざっている。
今日を終るために、無音の時間を堪え忍んでいる。希望も絶望も自分に興奮しているという意味で変りはないのかも知れない。私と他人をつなぐ無音の場所が、今夜は字の源泉のように思える。
今は夜で、さらに静まった窓外を眺めているのだが、頭が無音なのか、外が無音なのか、解らない程だ。しかし私はまだ本当の無音を聴いた事がない、心音がまざっている。
今日を終るために、無音の時間を堪え忍んでいる。希望も絶望も自分に興奮しているという意味で変りはないのかも知れない。私と他人をつなぐ無音の場所が、今夜は字の源泉のように思える。
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