今日は茨城で過ごす。
今までは、字を書くことは、自分の混乱した意識を整理してくれると感じていた。でもだんだん、そうではなくなっている。逆転してきたと思う。書く作業が、自分の調和を乱していくようになってきた。
字を書くことは、自分以外の白紙の地平線と接触することであると思っていた。でも、それも違ってきている。字は、どこまで行っても自分でしかなく、自分で接触しないものはやはり字においても接触する筈もない。端から消えていくだけの、砂のようなものだ。
自意識は、退屈な時間であれば眠り、興奮する時間であれば、未来まで快感を先取りしようとする。どこまでもブレて、定まる事がない。
整理するためでなく、地平と接触するためでもなく、記録する為でもなく。盲信でもなく。はけ口でもなく。ここを越えていかなければと思う。
今までは、字を書くことは、自分の混乱した意識を整理してくれると感じていた。でもだんだん、そうではなくなっている。逆転してきたと思う。書く作業が、自分の調和を乱していくようになってきた。
字を書くことは、自分以外の白紙の地平線と接触することであると思っていた。でも、それも違ってきている。字は、どこまで行っても自分でしかなく、自分で接触しないものはやはり字においても接触する筈もない。端から消えていくだけの、砂のようなものだ。
自意識は、退屈な時間であれば眠り、興奮する時間であれば、未来まで快感を先取りしようとする。どこまでもブレて、定まる事がない。
整理するためでなく、地平と接触するためでもなく、記録する為でもなく。盲信でもなく。はけ口でもなく。ここを越えていかなければと思う。
PR