白壁をじっと見る。蛍光灯に照らされて、薄いしみや、何かの線が浮かび上がっている。言葉が先だったのか、気持が先だったのか、字である程度整理できるまでは、いつも胸の奥の方で混沌のように、渦を作っているなにかを持て余していた。それは多分考えてはいけないことだったり、言ってはいけないことだったりした。歳をとって字を沢山書くようになってからは、指にまかせた字の方が、自分の本当の姿だったことにして済ませたりした。心に形を与えるということは、それを終わらせるということであり、次へ向かうということでもある。しかし現実には、混沌のまま引っ張り出さず、胸の奥の定位置に置いておく方が、ずっとましという場合だって、あるのではないか。時間が経ってから、初めて何が起きたのか判る経験が、この人生では沢山あって、それを待たないことは、自分で自分を欺きながら、気が付かない場合だって、あるのではないか。
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安心して、たらふく食べている。お茶なら太らないかと、何杯も立て続けに飲み、お菓子やご飯は食べないけれど、おかずを通常の倍くらい食べる。脂ものも、炭水化物も、気にせず食べる。快楽を今得るか、後に得るか、と自分の胸に聞いてみても、今でも後でも考えるより食べさせろ、と自分の腕に噛みつきたくなる。朝、バレエのレッスンを休んで、家中の掃除を延々としていた。掃除が終わったら食べるぞという気持だった。普段は掃除しない家具まで動かして埃を取り除き、引き出しという引き出しを整理整頓し、洗濯物は最後の一枚まで干し上げ、徹底的に全ての部屋を新品のように輝かせた。そして念願のお昼ご飯を震える手で作り、出来上がったおかずをテーブルに並べる瞬間、一人で大笑いした。そして、通常の倍食べた。
バレエでは足先を床にすりつけるので、ピンク色の布靴を履く。白や黒のも売っているけれど、ピンクが主流だ。皮製もある。この靴は滅多に洗わない。洗うと縮んだりよれたりして、あまり良くないようだ。そのくせ丈夫なので、何年でも履ける。地味な稽古で、同じ基本の動作をこつこつと繰り返している。そんなに優雅な時間でもないと思うことがある。何十、何百回と足をすりつけて、毎レッスンのたびにやる。足先の描く軌跡は個人で少しずつ違うらしく、そこを通るとその人だけの美しさが発揮される道があるらしい。足を出すたびに位置が違っているようでは駄目で、同じ軌跡を正確に辿れるように、足に覚えさせなければならない。何回やっても、S先生に指導を受ける。何度でも何度でも、根気よく欠点を直していく事しか上達の道はないようだ。
昨日はよく眠れて、心配事が減り、どうにでもなっていくだろう、という言葉がぽつんと思い浮かんだ。ストレッチ教室で一時間ほど運動して、帰り道もずっとピアノ曲のCDが耳に残っていた。体中の血が巡って、耳の音楽に自分の気持が呼応して鳴っていた。外部にはどこにも繋がっていないけれど、時折、好きな箇所で伸びたり縮んだりしながら、自分の生理にあった速度で流れ続けた。
家に帰って心地好い疲労を感じた。知らない内に寝たらしい。耳にテレビのCMの音楽が入り込んできて、寝ぼけて起き上がった。失敗したなと思う。テレビの音楽は異様に覚え易く作られているので、あっという間に耳の奥に入り込んでしまった。どうしてこんなに覚えさせたがるのだろうか。哀しい位の陽気さだ。
家に帰って心地好い疲労を感じた。知らない内に寝たらしい。耳にテレビのCMの音楽が入り込んできて、寝ぼけて起き上がった。失敗したなと思う。テレビの音楽は異様に覚え易く作られているので、あっという間に耳の奥に入り込んでしまった。どうしてこんなに覚えさせたがるのだろうか。哀しい位の陽気さだ。