妹さん夫婦が誘ってくれて、娘と私も小旅行に同伴した。七人を乗せたワゴン車は出発地から遠く離れていき、傾斜のきつい山道を登っていく。一時間ほど行って、通り道にある名所、袋田の滝を見ることになった。展望台へ行くと、崖の上から大量の水が滝のように……滝だから当り前だけど、落ちているはずが、この猛暑のせいか、水はちょろちょろだった。こんなにしょぼい滝を見るのも珍しいと思う。
休憩をとったあと、旅の目的であるプール施設で皆で泳いだ。ジャグジーや温泉、波のプールまであり、子ども達は何度でも潜っては、笑いながら顔を出す。自分もコンタクトレンズを外して、つられて随分もぐった。娘の歓声を聞きながら、妹さん夫婦の好意に感謝した。水の中で目をあけると、息さえ続けば、水は優しく、青い光に満ちている。
休憩をとったあと、旅の目的であるプール施設で皆で泳いだ。ジャグジーや温泉、波のプールまであり、子ども達は何度でも潜っては、笑いながら顔を出す。自分もコンタクトレンズを外して、つられて随分もぐった。娘の歓声を聞きながら、妹さん夫婦の好意に感謝した。水の中で目をあけると、息さえ続けば、水は優しく、青い光に満ちている。
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下の弟の命日だなあ、と朝起きて思う。東京は今日も灼熱の夏、故郷ではきっと賑やかに、家らしい流儀で霊を弔ったのだろう。わたしにとって、弟は、生まれてから死ぬまでを通して見た最初の人だった。14年が経過した。弟との再会を信じている。
夕方、相棒の提案で、娘と三人で『崖の上のポニョ』(監督・宮崎駿)を観に行った。監督は何故「崖」の難しい字を使ったのだろう。五歳の子でも判るように、の言葉通り、内容には隅々まで配慮が感じられた。だから、無造作につけたものではないだろう。映画の感想は動く画を見る快感に尽きた。後半の途中に出てくる水底の美しい場所は、宮崎監督の母が待っている天国ではないかと思えてならなかった。もういない女性のぬくもりが、透かし彫りのように映画の背後から立ち現れていた。
夕方、相棒の提案で、娘と三人で『崖の上のポニョ』(監督・宮崎駿)を観に行った。監督は何故「崖」の難しい字を使ったのだろう。五歳の子でも判るように、の言葉通り、内容には隅々まで配慮が感じられた。だから、無造作につけたものではないだろう。映画の感想は動く画を見る快感に尽きた。後半の途中に出てくる水底の美しい場所は、宮崎監督の母が待っている天国ではないかと思えてならなかった。もういない女性のぬくもりが、透かし彫りのように映画の背後から立ち現れていた。
東京に一時帰宅。
特急に乗り込んで、茂木健一郎著『脳と仮想』を読む。出会いの一冊で、どの章も新鮮な光を浴びたような気がした。なんというか、文章は明快で、どこか子供のよう、強い光の太陽のようだ。わずか一リットル程度の空間しか持たない脳が、どのようにして無限の仮想空間へと解き放たれるのか、最近の脳科学ではクオリア(感覚質、数値化できない微妙な質感)というそうだが、脳と心の関係を様々な角度から論じている。今の自分にとって、いろんな回り道をしながら、そのことが知りたかった、それをずっと探していた、と思うことが沢山書いてあった。テレビで見知っていた茂木さんも、アハ体験だとか、もじゃもじゃ頭の学者さんと思っていたのが、急に存在が大きくなった。心全体が喜んでいる。
特急に乗り込んで、茂木健一郎著『脳と仮想』を読む。出会いの一冊で、どの章も新鮮な光を浴びたような気がした。なんというか、文章は明快で、どこか子供のよう、強い光の太陽のようだ。わずか一リットル程度の空間しか持たない脳が、どのようにして無限の仮想空間へと解き放たれるのか、最近の脳科学ではクオリア(感覚質、数値化できない微妙な質感)というそうだが、脳と心の関係を様々な角度から論じている。今の自分にとって、いろんな回り道をしながら、そのことが知りたかった、それをずっと探していた、と思うことが沢山書いてあった。テレビで見知っていた茂木さんも、アハ体験だとか、もじゃもじゃ頭の学者さんと思っていたのが、急に存在が大きくなった。心全体が喜んでいる。