二週間ほど前になるだろうか、娘は最も頼りになる相談相手として、去年担任だった先生に手紙を出していた。すでに今年3月に他校に転勤されていて、仕事外のフォローなのに、家にお電話を下さった。娘が受話器を取るなり、ウワーッと大声で泣いたので、誰か死人でも出たかと驚いたが、娘が言うには人生初めての嬉し泣きだったという。30分位、娘はずっと涙を拭きながら喋っていた。
最後に受話器を代わると、以前と少しも変わらない声が聞こえ、話していると私まで、この人なら学級崩壊など、ちょちょいと解決しそうな気さえしてくるのだった。勿論、先生をもう頼る訳にはいかないけれど、また大きな恩を受けた人が増えた、と思った。電話を切ったあと現実が戻ってきた。娘は、勇気が百おく倍になった、と言って、布団に入っても寝付けない様子だった。
最後に受話器を代わると、以前と少しも変わらない声が聞こえ、話していると私まで、この人なら学級崩壊など、ちょちょいと解決しそうな気さえしてくるのだった。勿論、先生をもう頼る訳にはいかないけれど、また大きな恩を受けた人が増えた、と思った。電話を切ったあと現実が戻ってきた。娘は、勇気が百おく倍になった、と言って、布団に入っても寝付けない様子だった。
関節痛などは残っているけれど、インフルとの闘いには勝利したらしい。娘も晴れた天気を見て、外に出たがっている。熱が下がっても2日間は自宅待機ということで、買い物も行けず、ただの白がゆなど作って食べた。雲がゆっくりと流れている。夕方、娘の同級生の子がプリントを届けてくれた。今日一日でクラスに七人も欠席者があったそうで、今週中は学級閉鎖になったとのこと。それから、新しい担任となったH先生の初めての学級通信が入っていた。子どもたちを良くすることしか考えていない人だ、という気がした。特別保護者会で会った時は、か細い声で、表情も緊張しきっていて、若いなあという感じがしたのだけど、この先生は意外と度胸がいいのかも知れない。誰だって尻込みするような難しいクラスを引き受けて下さったのだ。悲観的な考えは止めて、出来る事はなんでもしようと決めた。