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人間になればよかった...
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学生への指導が終った後、物言う覚悟は満点でも、実力が伴わないといけないと思い始めた。一日一冊、の言葉が頭に浮かんできた。毎日一冊読むのは無理だとしても、小説一篇、シナリオ一本ずつ位なら続けられるかなと思い直したら、出来そうな気がしてきた。
振り向くと本棚には未読の本が山とあり、おぬまさんの購入した勉強本と私のトンデモ本が混在している。古典あり、純文学あり、シナリオ集なら売る程あるので、お金をかけなくても読むものは沢山ありそうだ。
生きることは、膨大な借財に気付く作業ではないだろうか。どう生きてもいい筈だけど、道の向こうにまた道が現れるのはどうした訳だろう。判らないし、錯覚かも知れない。とにかく、自分の心ひとつだと思う。
お昼前にストレッチ教室へ行く。今日はB先生がバーレッスンをやってみようかと提案して下さったので、喜んでお願いした。鏡に向かって訓練に没頭する。美しい動作には全てからくりがあると思う。それにしてもこの数々の拷問、涼しい顔で出来るようになるまで、どれ位練習を重ねたらいいのだろうか。……
午後は部屋掃除を済ませた後、菊池寛の戯曲集「父帰る・屋上の狂人」読了。面白すぎて茫然とした。また最初から読み始める。
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親しい友人から連絡をもらい、今日は会いに行くことになった。電車を乗り継いでH町駅に向かう。何も考えずに足が勝手に乗り換える。この街もお馴染みになって、街の空気が彼女そのものの存在に思える。
待ち合わせたコーヒーショップで彼女は作業服を着たまま座っていた。今はお昼休憩で、あとでまた職場に戻るつもりだと言う。作業服姿を間近に見ると、友人としては妙にしみじみした。あの状態からよく頑張って自立したと思う。今回の彼女の相談は、自分にもアドバイス出来る種類のものだった。沢山話して、彼女はまた職場に戻っていった。
帰りの電車、なんとなく家に向かわずに途中下車をした。特に目的もなく雑踏の中を歩いた。お財布にお金が少し入っている。デパートに入って、売り場の間を歩き回る。人の相談はやたらと原因を分析するくせに、自分のことになるとどうしていいか判らないや、と思った。女性特有の繊細なディテールの洋服は、今の自分の気分にそぐわなかった。自分自身の支えでもある、作業服姿の彼女のことばかり考えた。
八歳の娘が、「時間がたつって、いいことだね、ママ!」と不意に言った。夕暮れの東京は、すれ違う人皆忙しそうで、私もまた重たいカートを引きずって、脇目もふらずに家路に向かっていた。一刻も早く帰りたかったのだ。私は返事をしないで歩いていたが、娘は、ママ、お話きいてた?と袖を掴んで言った。
私は、最近は、時間が経つのが怖かったなあ、とぼんやり考えた。浪費を惜しむあまり、ケチケチして、守銭奴のように、一分だって惜しむ気持だった。取り返しのつかない事態に陥る気がして、身辺の整理にばかり関心が向いていた。
さっきまでは、一刻も早く帰りたかったのだ。娘の手をひいて、重たいカートを引きずって。時間が経つのは、怖ろしくて、厭なことだとママは思っていたんだ。
娘は時々、私に新しい言葉を教えてくれる。
茨城はすっかり秋の気候だ。朝起きるなり、長袖を重ね着した。
今日はおぬまお母さんの提案で庭の作物を収穫する。ここのお家には、果物の樹が沢山植えてある。ゆず、かぼす、きんかん、ぐみ、すもも、ソルダム、さくらんぼ、びわ、ブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリー、ウメ、りんご、いちご、柿……別に、おぬま家が果物屋になりたい訳ではない。これは娘が毎年お母さんにせがんだからで、お母さんは孫のリクエストに応えて、庭にスペースがあれば果樹を植える、という事を繰り返したからだ。古風だった庭は年々ポップな感じになってきた。亡くなったおぬまお父さんが、この光景を見たらなんと言うだろう。笑って許してくれるといいのだけど。
娘が大きくなった分だけ、私も老いたらしい。色々植え続けた木の方も立派な若木に育ってきた。数年前に植えた柿の木が、見事な実をたわわにつけて初の収穫を迎えた。へたの上辺りを剪定鋏で切る。光に透かされた実は太陽と同じ色をしていた。自分が植えた時は、苗木はひょろひょろで、一体いつ実が食べられるのやら、と他人事のように思っていたのだけど。
家に戻って、固い実でお手玉をして遊ぶ。何年も気長に待った今日この日、ようやく食べられる日が来た訳だ。植物と付き合うのは楽しい。こういう気の長い計画はいいなとしみじみ思う。
といっても結局、出来ることは、些事と丁寧に向き合うことしかない。今日はお昼過ぎまで家中を這い回って拭き掃除をした。やる気が空回りしている。しっかり、しっかりと心に呟く。あちこちに頭をぶつける。でもあまり痛くない。なにもかもが、ゼリーの中にいるみたい。
いつの間にか夕方で、茨城へ行く時間になる。娘の手をひいて外に出ると、かすかな雨が降り始まっていた。今は子供の為にぼんやりしている暇はない。娘の手をしっかりと握って、信号を見つめる。こっちの世界の方がよほど夢に近いと思う。自分が子供を産んだ夢。若い自分に戻った夢。東京で生活をしている夢。……
ああ、こういう一日はしんどい。
茨城に着くと小雨が降っていた。茨城のお母さんは温泉観光地へ行った後、風邪で一週間寝込んでいたそうだ。そんなことになっていたとは知らなかった。話しながら車の運転席に座ると、周囲のゼリーはようやく分解し始め、幾分か頭がはっきりしてきた。
視界のきかない夜の運転はこわい。暗闇の路上を猫が走ってゆく。溜まった水たまりを盛大に跳ね上げて、無事避けた。
私はどこまでも偶然の産物である。確かなものは何一つ持っていない。私、という気持ち、私があるという気持ちすら、どこからか沸いた色つきの影なのだ。

自分が死ぬ時は状況を恨んだり呪ったりしないで、死に至る過程をひとつひとつ受け入れる。
また病苦の時は、苦痛によってどんな悪い考えが起きるか解らない。周囲への八つ当たりをゼロにすることは出来ない。少しでも減らすよう日々考えておく。
老いに関してはもっとも試される時間と解釈し、いずれ来るべき不自由な生活の為に知識を整理し、経済的自立も整える。
突然の死に関しては、どれだけ覚悟を尽くしても恐怖の絶頂で終わる予感がある。しかし、自分は、すでに生まれてきたことの元を取った人間であり、それは奇跡的な、幸運な人生だという事実に常に留意しておくこと。
そして、それは大勢の他人からもらった感情だということを常に忘れずに、終点ではあり得ない自分の死を日々考えておく。
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