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人間になればよかった...
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だだっ広い砂浜に、自分一人だけのレジャーシートを敷いて、膝を抱えている10代。景色しかないと思っていたのに、その景色はすでに無限の人間の手垢がついて、過去現在未来も人間でいっぱいの場所であり、皆のものであり、気がつくと大勢の他人のシートで砂浜はいっぱいだったのであり、……シートを丸めて、立って歩くと、自分の居場所はなくなるまでも、多少は風景が、違って見えていいのかも知れない。そうは思ってみても、どこに行ってもおそらく他人の場所と決まっていて、自分に割り当てられた唯一の場所を失うことにもなりかねない。
そんな風に思っていた昔。今は……そこまで、他人が怖くはない。
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急に冬になってしまい、部屋中の暖房器具が活躍しはじめた。気がつくと温風に頼って、部屋を熱帯気候にしてしまっている。
ストレッチを習いに近所の教室へ歩いていく。空き地の蝶はぜんぶ消えた。
今日は生徒さんが5人。皆でゆっくりと骨の繋ぎ目や筋肉の動かし方を勉強していく。自分は人形だとうつ伏せになりながら思う。頭を垂れて、床にひれ伏していると、昔自分が捨てたぬいぐるみをひゅっと思い出した。よく人間にするようにあれこれと話しかけていたっけ。引越の時に一大決心して、庭で火葬に見立てて燃やしてしまった。長いこと思い出しもしなかったけれど。
帰り道、蛇行気味に歩く。人形と同じく人間も古くなる。街はクリスマスバージョンに変わった。電飾で飾られたパン屋さんが信号の真向かいで輝いている。これから一ヶ月、連続クリスマスだ。今年も当日の前に食傷するのは間違いない。個人的にはせめて2週間くらい前から宣伝を始めてくれたらと思うのだけど、人はあまり気にしないのだろうか。
掃除をしなければと思い、部屋を見回す。週の初めが晴天に恵まれて、掃除から家事を始める事が出来るのは、ありがたい。責任ある仕事をする時や、人と交流する難しさには及ばないまでも、家事は家事で、やり甲斐のある世界ではある。
ものいわぬ白い皿や、布巾、やかん、戸棚のガラス、全てを清潔にしておくことが、驚く程心を穏やかにしてくれる。女性でいるということは楽屋裏を知ることだ。バレエの訓練と同じく、綺麗なものには全て理由がある。楽屋裏があるからといって、嘘だ、厭だと軽蔑する訳にはいかない。地味に積まなければ、清潔という観念は維持出来ない。面倒でもあり、挑戦しがいがある暮らしとも言える。空気のように当然そうなっていなくてはと思う。空気になるまで、訓練を積まなければならない。
ちょっと困難、が、目下の敵だ。一段前の階段だけを見て足を動かそう。
発表会。娘は自分の番が来るとやってきて頭を下げ、ピアノを実に上手に弾いた。本人も夢中だったろうが、聴いているこっちも意識がなかった。
昼過ぎ、いつもと同じ時間にI駅を出発して上野に向かう。三連休のせいだろう、今日に限って座る座席がない。娘はカートの上に腰掛けて漫画を読んでいる。立ち乗りして窓を見ていると、黄土色の田んぼが延々と続いている。銀色のテープが光を反射していて、雀でもないのに眩しくて目をそらした。
誰かを頼りにすることと、もたれかかることは違う。結局は、自分が頼りになるかどうかでこの人生は決まってしまうのだろう。繰り返されない代わり、行き先も知らされない。せめて行きたい場所を決めておかなくてはと、上野の切符を格好良く握りしめると、二つに折れた。
自宅に着き、おぬまさんは仕事でいなかった。娘の宿題を手伝いながら、ピアノ会場で買ったまんじゅうを、夜ご飯代わりに食べた。食欲が少し戻ってきたけれど、まんじゅうは一つ残しておいた。
早朝、巨大な霜柱が立っている。バケツには薄い氷が張っていて、娘がつまみあげると、裏に奇麗な模様がついていた。
黄色い柚子の実を収穫する。あの樹には鋭い形状の刺がある。手袋をしていなかったので、ひっかき傷だらけになった。
大きい袋に2袋、収穫が済むと樹の方は緑一色に戻った。
今日は食欲がなく、ほとんど何も食べなかった。お昼を過ぎて、布団に横になり、目を閉じていると、丸や四角の模様が無意味な抽象のままに、やたらめったら降ってくる。眠る前の運動だけが続いているらしい。運動を追っていたら、いつの間にか一時間経っていた。
明日は娘のピアノ発表会だ。上手に弾いてくれるといいなと思う。枕の横で手をかざして、赤い傷の点々を眺める。これでいい。一日を無駄にせずに済んだ証しが残ったから。
茨城に来ている。パソコンのある部屋が寒いので、毛布をひきずっている。誰も話す人がいない分、つらつらと考えて時間を過ごす。
今までいろんな人と会ってきた。判らない人とも。弱虫や、優し過ぎ。許せる嘘、我慢できない自慢話、それらはいつも物凄く輝いていた。誰にも主役の日というのがあるのではないだろうか。他人の前で運命をさらけ出してしまう日が。誰にも脇役の日があるのではないだろうか。相手の方が大きく見える日が。見る番、見せる番を互いに大海の波のように日ごとに繰り返しているのではないだろうか。主役は行く先も知らない様子で、横顔だけを見せつけて遠ざかり、影も形もなくなってしまう。運命は大海のように全部繋がって揺れている。相手がいなくなっても、波は残像としてまぶたに残る。残した弱さも、残した見苦しさも、残像となる。その人の去ったあとの大海は、また同じ風景に戻る。
いろんな人と会った。相手の行方は知らない。大海の方でもまた。
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