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人間になればよかった...
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おぬまさんが何か言いたそうに見ている。珍しく二人で出かけた。電車を乗り継いで、国立新美術館に展示中のフェルメールを観に行く。名画『牛乳を注ぐ女』が日本初公開ということで、年配のお客さんが沢山来ていた。ロビーもフロアも混雑して、さすがの人気。
展示会は17世紀のオランダ風俗画展と題されて、庶民的な生活場面を描いた画が多かった。縫い物したり、酒場で酔っぱらったりしている画など。お客さんの流れをゆっくりと進むと、ビデオ映像が現れた。予告編のように何度も構図の解説文が出てくる。フェルメール様ご登場、という感じ。他の画がちょっと可哀想な気もするんだけど。
藍色の壁の中央で、画が、沢山の人の頭に囲まれていた。色の美しさは遠くからでも判った。近付いていくと、画は静かに光を放っている。足を止めてはいけないので、ゆっくりゆっくり歩く。写真とはまるで違う。驚く配色だ。見られてよかったと心でつぶやく。完璧で、それでいて人を威圧するところがない。なんて静かで当たり前の世界なんだろう。本当の空気なんだ。
生涯に30点余りしか作品を残さなかった寡作の画家だから、どの画も気が遠くなる程時間をかけて描かれたものだろう。ここまで美しいとは思っていなかった。この画を見られただけでも、来てよかったと心から思った。
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運転していたら、急に、意識の置く場所に問題があるのではと思い至った。今までは視界が流れていると感じていたのだが、今日は道路の方に心の照準を当てた。すると、驚くほど視界が安定して、いきなり窓外が広くなった。対向車をよけたくなったり、道路が狭いなどと感じていたのは、主観的に過ぎたからなのだ。道路は車を行き交わせるのに丁度いい幅で出来ている。どんなに細くても、通れる。ハンドル操作やスピードの増減は自らで調節可能なのだから、別段危ないことはない。免許を取ってからこんな当たり前のことが腑に落ちるまで、五年もかかった計算になる。あんこの仲間としては、ましなペースで気がついたと思う。下手すれば一生気付かない可能性もあった訳だし。
車を降りて街を歩いていても、街に心の照準を当てれば、街も別段、危ないことはない。調節可能なハンドルを頼りに、楽しんで運転して、それ以外の要素は街に任せる。
昼過ぎに東京に戻る。夜は軽い頭痛。温かいコーヒーを飲んだら、よくなった。カフェインの摂り過ぎなのかも知れない。
畑のさつま芋を収穫することにする。霜に枯れた葉だらけの畑を掘ってみると、化け物のような巨大な芋が半分埋まったまま頭を出している。娘は芋を指差して、げらげら笑っている。いくらなんでも育ち過ぎだ。曙か、小錦か、そういう芋が全部で30本ほどあった。
おぬまお母さんと枯葉を集めて火をたいた。茨城は農家が多いせいか、田んぼ、畑、個人の庭、あらゆる場所でたき火をする風景を頻繁に見かける。故郷の北海道では風が強過ぎて、火は滅多に扱えなかった。焼き芋は子供心をおおいにそそるものがあり、ぜひやってみたいものの一つだった。ここに来てから、あこがれの焼き芋を作る楽しさを知った。
70歳の義母と、8歳の娘、すべては完璧なバランスで、表面的には波も立たないように静かに過ぎていく。静かな記憶を貯えるように、作業の合間に魅入ってしまう。この記憶が将来どれほど役に立つか知れない。どんなに苦しい日が来ても、この静けさを覚えていたい。
二時間後、灰の山から煙が消えた。おぬまお母さんが、もういい頃だろうと言う。焼けた芋を割ってみると、ふっくらと芯まで火が通っていた。
窓から見える樹は、先日まで雪のように枯葉を降らせていて、子供達の絶好の遊び場になっていたのだが、今朝見るとほとんど葉が落ちて枝ばかりになっていた。向こう側が全部透けて寒々しい。
枯葉を踏みしだいてB先生のバレエ教室に行く。結局、今週は週に4回お稽古してしまった。毎日でもいいなと思い始めている。空想的な性格ゆえのやり切れなさを、踊りは指先から逃がして楽にしてくれる。話は関係ないが、首の太さと頭脳的な持久力の関係は比例していると本で読んだ事がある。猪首、の人は物事をいつまでも追いかけて考え続ける傾向があるのだとか。与太話を真に受けたのかも知れないが、バレエを始めて首を長ーく伸ばす機会が増えてから、同じ事を考え続ける力が若干減った気がする。
字を書く作業の拠り所は、自分の個人的な考えとして、自分の感じる苦痛を信じる、という始点から始まっているように思える。よくよく考えて、字の世界と体の世界が反発するのかどうかを解明かしたい。
午後からは、保護者会とPTA学年役員会に連続で参加。ソーシャルスキルの講習が関係あるかは判らないが、公共の場が過ごしやすくなった。お母さん達が10人位かかってきても平気だ。なんて大嘘がつける程、落ち着いた。夕方暗くなってから身仕度を済ませ、娘の手をひいて二週間ぶりの茨城へ。
電車に乗ってI駅へ。東武の玩具売り場で、娘が幼稚園に通っていた頃のお母さん友達と待ち合わせる。時間に律儀なOさんは、約束の10分前に着いた律儀な私よりさらに先に着いていて、二歳のお子さんを遊ばせていた。
子供達が卒園しても、たまには会いたいねと話していたのだけど、そのたまに、が曲者で、そのうちと思う間に二年も経っていた。私はOさんにはいつも降参してしまう。ご本人は非常識をよしとしない人なのだけど、時折大胆なことをする人だった。臨月の時に乗用車を運転して、シートベルトが出来ないのと言って、私を驚かせた。貧血に青ざめた顔にも笑みをたやさず、120パーセント全力で多忙な生活をこなしていた。私はそういう女性がとても好きなので、会う機会がなくなった後も、園生活の中でもっとも印象に残った女性として、時折思い返していたのだった。
その時の赤ちゃんが女の子に育って、私を人見知りしてじーっと見ている。デパートの中を歩き回って、金魚や亀の売り場を覗きながら、互いの近況などを話す。元々研究者だったOさんは、やることの筋はきちんと通っているのだが、不思議な浮遊感のある話ばかりする。家中の電化製品が次々と故障していく話をしながら、Oさんはおっとりと歩いている。花のような人だと会う度に思う。自分は草のような人だけど。
屋内レストランで一緒に洋食を食べながら、二年の空白があっさり埋まったのを嬉しく思う。また会いたいね、と約束して軽く手を合わせた。別れた後、男性のようにポケットに手をつっこんで歩きながら、いけないと思って手を出し、少し優しげに歩いてみた。
空を見上げると、鳥。
昨日、縄跳びを買う時に見た黒い川は、午前中の弱い光を受けている。今朝は覗きこむのを止めた。私はうまく考えられる時と全く考えられない時の差が大きいようだ。意志の弱さや女性的な周期、体調、環境、様々な要因があるとは思うが、しかしこの統一感の弱さは字を書く人間として致命的である。
どうして出来ないのか、何が原因なのか、と一旦思い始めると、世界は鏡面になってしまい、全て自分の歪み具合を映す様になってしまう。目の前の出来事に驚かされる瞬間は、そう頻繁にある訳ではない。だから、全てを詐欺にしないように、考えられない日も書く練習だけは続けようと思う。
一日でも怠慢していたら、自分が何を考えていたのかすら、判らなくなってしまう。だから今日は、半分の詐欺で収まって欲しいと願う。
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