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人間になればよかった...
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聖バレンタインの日。いい加減に終わろうよ地獄。昼間に起きると、相棒に励まされた。たかが脚本じゃないか、と相棒が言った。毎回なんという大騒ぎだろう。首を吊ってしまいたいと思い、上手くいった時は感極まって一人で泣いている。書き物が人を賢くするものだろうか。少なくとも、私に限ってはそうではないらしい。
お日様はあっという間に沈んでいった。いつでも夜で、どこまでも暗くて、どうなっているか判らない。日記もチョコレートの中にいるみたいだ。夕方に、フォンダンショコラを娘と作った。簡単な作業だったけど、家族で食べた時、作って良かったと心から思った。
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栓が抜けたように、楽になった。怪物に頭を咬まれながらも、何かうっとりした調子で、終わりのない歌をうたっている。時間が丸い輪になって、同じ所にずっといるみたいな気持がする。
おぬまさんが、そっと私の肩に手をのせて、優しく言った。「……仏の顔も、三度まで……」恐しくて後ろを振り向く事が出来なかった。〆切日から一週間ほど経過しようとしている。今夜できる、今夜できるという言い訳を何回繰り返しただろう。早く書き上げなければ、大切な企画が駄目になってしまうかも知れない。やたらに髪が抜け落ち、眉間の間に皺が刻まれて、ここ一週間で五歳は老けた。こんな時に知り合いに会うとぎょっとされる。
夕方、食料も尽きたので、近所のスーパーに買いに行く。物価の値上がりは相当で、世間の不景気は増している感がある。買い物をしながら、架空の登場人物が目の前で胡瓜を買っている所を想像してみる。登場人物は、なにやら考え事をしているように、胡瓜を両手で持って重さを量っていた。君は家に帰ってからそれを食べる気なのだろうが、この世には存在しないのだよ。
今日はもう、ほんとにしんどい。日記をつけると、心臓がどっきんどっきんいっている。何してんのかなあ。自分の皮を脱いでしまいたいなあ。これでいいという所に一向に行き着かないのがきつい。
娘が昼過ぎから軽い熱を出して、まずいなと額に手をあてながら思う。仕事やらなきゃ、仕事、仕事と思いながら傍に付き添う。普段は生意気な娘が赤い顔でくうくう寝ているのを見て、仕事、と思い、仕事が気になって中腰に立ち上がるとぎゅっと手を握られる。娘、娘、と思いながら手を握りかえす。こうなったら夜に死ぬほどアイデアを出して遅れた時間をとりかえすことにしよう。うまくいっているのだし。そんな風にいつも希望的観測で問題を先送りしてしまい、あとさき考えず持ち時間をどんどんと使ってしまうのだ。
夜、娘は回復して眠ってくれた。深夜、寒い廊下に出て頭を冷やしていると、死ぬほどアイデアを出す時間が来た。靴もはかずに外に飛び出してみようかと思い立ち、玄関の戸に手をかけたら鍵がかかっていた。夜はあと数時間残っている。いもしない登場人物達に向けて、怒りがこみあげてくる。いもしない人達がどう喋るか、判るものか。皆喋ってよ、お願い、プリーズ。朝日を見る頃、鍵をあけて外に出てみよう。靴はもうどっちでもいい。
昨夜に茨城に着いて、今日は1日中家で過ごす。ここにいると、東京生活の何もかもがしなくていい苦労であり、自分の努力は空想的であり、地に足をつけて働かない者は全て不要だ、という諦念めいた思いが湧いてくる。農家中心の暮らしだったこの地域の方言は大変やわらかく、随分と静かな印象さえあるのだが、嫁いでから耳にした言葉「なーに、ねぼけかたってんだ!」相手を嘲笑する時に使われるこの言葉などは、いつ聞いてもはっと身がすくむのだ。「何、寝ぼけ(たことを)語ってるんだ」現実の暮らしに対して、どこか違うのでは、何か判らないと感じて暮している人間にとって、この一言はたいへん手厳しく下剤のように効く。この劇薬にも似た言葉は、それでも薬には違いないのか、仕事の手が止まると何度となく思い出す言葉になっている。
今夜も原稿に向かっていて、合間に日記をつけた。
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