気力の出ない周期がある。半歩上だけを見て過ごした。「ほんのちょっとの困難」が「最大の困難」よりも要注意の相手だな、とふと思う。「最大の困難」は実はまだ出会っていないのだし、この先だって対決はごく稀な機会に限られる。(もちろん会った時には一巻の終りだろうけれど。)「ほんのちょっとの困難」が、四六時中現れては、様々な痛手を残していく。この敵ほど人の弱さを巧みについてくる相手はいない。もっともらしい言い訳や、自己正当化、他人への責任転嫁を思いつかせる相手はいない。「ほんのちょっとの困難」を順次倒していくと、目の前で具体的に闘える相手としての、大トリである「最大の困難」が現れる。そう思って、そう屁理屈をこねて、我が身を励まして、ほんのちょっと困難だった日常の様々な雑事を、一掃することが出来た。
景気よく春がやってきた。茨城の広大な土地の上を砂塵が西部劇のように舞っている。毎週利用する上野行きの特急電車は強風の為にストップして、動かない車内に2時間近く中に閉じこめられた。人間は景気悪いなあと座席に娘と坐っていると、砂塵を吸い込んだせいか鼻に違和感を感じる。去年初めて花粉症を発症してから、私の鼻にも花粉センサーが誕生したらしい。これからは毎年なるんだな、と思う。花粉のいたたまれない痒み、生活全般への不便さは実際馬鹿に出来ない。スギが何の為に人間に復讐しているのか判らないが、大好きだった春を、これからは毎年嘆き節で過ごさなくてはいけなくなったかと思うと、残念でならない。
車内販売のワゴン車を押すお姉さんに声をかけて、非常な贅沢と思いつつお菓子を買った。今日はよく売れるせいか、お姉さんの表情も明るい。200円で買ったお菓子を娘と分けて食べていると、窓の外は砂埃の渦巻で、電車が動いている時みたいに揺れた。
車内販売のワゴン車を押すお姉さんに声をかけて、非常な贅沢と思いつつお菓子を買った。今日はよく売れるせいか、お姉さんの表情も明るい。200円で買ったお菓子を娘と分けて食べていると、窓の外は砂埃の渦巻で、電車が動いている時みたいに揺れた。
今夜は茨城、風の強い深夜。暗い廊下を歩いていると、人影のような木が揺れていて、心底ぞっとする。今夜は眠いのと怖いのとで、とても心が下向きになっている。
今日はあまり元気のでない日だった。一日を無駄にしないようにやたら細かい工夫をしたけれど、駄目だった。いやいや頑張ってみても、結局全部無駄になる。嘘から始まった頑張りは、頑張った分のひずみ、というか心の報酬を求めて、他人への甘えや、八つ当たりを生む。そうなれば、最初から頑張らない方が余程良かった、という事になりかねない。今日はそういう日だった。お風呂で私は娘に暴言をぶつけ、あとで手紙をもらった。「お母さんおふろのときはうるさくってごめんなさい。いいずらいので手紙でつたえます。気をつかってごめんなさい。お母さんがいつもとちがうから。それでもどんななやみがあってても、どんなつらさがあっても、わたしはお母さんのことが大すきです。」私はたまに頑張っているが、そういうことがよく起こる。
今日はあまり元気のでない日だった。一日を無駄にしないようにやたら細かい工夫をしたけれど、駄目だった。いやいや頑張ってみても、結局全部無駄になる。嘘から始まった頑張りは、頑張った分のひずみ、というか心の報酬を求めて、他人への甘えや、八つ当たりを生む。そうなれば、最初から頑張らない方が余程良かった、という事になりかねない。今日はそういう日だった。お風呂で私は娘に暴言をぶつけ、あとで手紙をもらった。「お母さんおふろのときはうるさくってごめんなさい。いいずらいので手紙でつたえます。気をつかってごめんなさい。お母さんがいつもとちがうから。それでもどんななやみがあってても、どんなつらさがあっても、わたしはお母さんのことが大すきです。」私はたまに頑張っているが、そういうことがよく起こる。