茨城から東京へ。夕方に支度を調えて、数着しかない真面目な服に着替えた。恩師を囲む忘年会に参加するため、電車を乗り継いで、旅を重ねた。もう何年も行っていなかったので、パソコンで調べた地図も役に立たなかった。同期のMくんに拾って貰って、なんとか小さな宴会場に着いた。皆さんは沢山集まっていて、ざわめきでいっぱいだった。恩師に、きちんと脚本を続けている姿を見て貰いたかったのだが、ただのへんてこな女になって、肝心の字はもう書けないし、この先何をして暮らせばいいのかな、と、無性に悲しかった。一つの目標だった人も、もう遠すぎて、目標と呼ばせて貰うこともかなわなくなっていた。恩師のぽやぽやとした白髪頭を、遠巻きに眺めている3時間だった。
土曜日、茨城。朝起きたら、景色一面が霜で真っ白だった。凍りつくような家内の廊下を渡って、居間のこたつの部屋を訪れると、義母が肩までこたつに潜ってテレビを観ていた。地球温暖化対策について話し合う国際会議の生中継が流れていた。私もこたつに潜って、テレビ画面を見るともなしに見た。どこの国にも譲れない事情があるらしかった。
義母は温かいお茶を私の湯のみに注いでくれて、「10年も経てば、今とは全然変わっちまうわ。時代の流れには誰も勝てめえよ。」と言った。私はそうですね、と2回頷いて、湯のみに口をつけた。気温が温かい日には、温暖化のせいだねと言い、酷く寒い日には、温暖化のせいで気候が狂ってるね、と言い合うのが、近年の私達二人の挨拶だった。
義母は温かいお茶を私の湯のみに注いでくれて、「10年も経てば、今とは全然変わっちまうわ。時代の流れには誰も勝てめえよ。」と言った。私はそうですね、と2回頷いて、湯のみに口をつけた。気温が温かい日には、温暖化のせいだねと言い、酷く寒い日には、温暖化のせいで気候が狂ってるね、と言い合うのが、近年の私達二人の挨拶だった。