明日はバイトの日、僅か一日半の滞在で茨城から東京へ戻ることにした。義母に、来週また来ますと話して、手を振って特急電車に乗り込むと、正月三日ラッシュのピークで、乗車率150パーセントのアナウンス通り、乗り込む時点から困難な旅となった。見知らぬ人達の隙間に親子で入れて貰って揺られていると、私の立ち位置などまだ良い方で、車両と車両の連結部分に立っている男性もいる。自分達親子の体が押し出し式に男性を、その不自由な場に追いやってしまったのだ。蛇腹になっている部分が酷くガタガタいって、音が鳴る度にその人は足をふんばっていた。私はその方の靴ばかり見ていた。周りの人達は殆ど誰も喋らなくて、その場にいる全員が苦行をしに来たかのようだった。トイレ前のスペースだったから、滑り込むように人混みをかき分けてくる方もいた。ペーパーがからから回り、水を流す音がよく聞こえた。使う方も、聞く方も、仕方がないのだった。地獄とはこんな場所だろうか、と、ふと恩師の話を思い出した。足の踏み場もないほど人がいて、皆で仕方なく永遠の責め苦を受け続ける。だが、天国より地獄の方が良い場所だ。人が沢山いる筈だから。そんな話だった気がする。
靴の主は、実に良い方だったらしく、途中下車する際に娘に一声かけて、『お嬢ちゃん、後ろの席、あくよ』とそっと言付けして下さったらしい。席には結果的に座れなかったが、その方の親切はとてもありがたかった。
靴の主は、実に良い方だったらしく、途中下車する際に娘に一声かけて、『お嬢ちゃん、後ろの席、あくよ』とそっと言付けして下さったらしい。席には結果的に座れなかったが、その方の親切はとてもありがたかった。
家族三人で夜を徹して、パソコンで無料で出来る『脱出ゲーム』で遊んでいた。誰もいない密室に、意味不明のアイテムが落ちていて、知恵を使って謎を解く。というものだが、一つ解けると、また次の新しい謎に出会う。初日の出を拝む頃に気力が尽きて、皆であくびをした。とうとう脱出できなかった。
こんなに、穏やかな一日があるだろうかという、良い日で、遅く起き出した後も、あっという間に移動している時計の針を、少しの不安もなく眺めた。日常、という言葉が静かに、具体的な形として感じられる。太陽と影、窓から差すもの、床の白い反射と。私はこれしか持っていないのだけど、またこれで充分に足りてもいるのだった。
脱出はかなわなかったが、2010年は何事も諦めず頑張りたいものだ。
こんなに、穏やかな一日があるだろうかという、良い日で、遅く起き出した後も、あっという間に移動している時計の針を、少しの不安もなく眺めた。日常、という言葉が静かに、具体的な形として感じられる。太陽と影、窓から差すもの、床の白い反射と。私はこれしか持っていないのだけど、またこれで充分に足りてもいるのだった。
脱出はかなわなかったが、2010年は何事も諦めず頑張りたいものだ。
電車を乗り継いでC駅へ行く。専門学校時代の大恩人T先生を囲む飲み会があって、11人の教え子と2人の現役生が養老の滝に集まった。企画者のRくんはこの日の為に3回先生と会い、疎遠になっていた仲間を呼び出してくれたのだった。だから、なつかしい顔ばかりが集まり、先輩方、去年教えた現役の学生、みんな賑やかに飲んだ。毎晩ここで一人で飲んでいる先生は、やはり嬉しそうで、沢山飲んではいけない体で焼酎を何杯もあおって、途中で眠ってしまった。
帰り際、先生は自転車を押して、周りを囲んでいる教え子達にフランス語で挨拶すると、ふらふらと去っていった。そして、一つ隣の飲み屋に自転車を停めて、中に入っていったので、見送っていた皆は全員ずっこけた。数人の仲間が先生の介抱をするため、店に付き合ったようだ。私は娘と帰ってきたので、その後は判らない。
帰り際、先生は自転車を押して、周りを囲んでいる教え子達にフランス語で挨拶すると、ふらふらと去っていった。そして、一つ隣の飲み屋に自転車を停めて、中に入っていったので、見送っていた皆は全員ずっこけた。数人の仲間が先生の介抱をするため、店に付き合ったようだ。私は娘と帰ってきたので、その後は判らない。