土曜日の茨城。うだるような暑さにも、どこか冷風が含まれているようで、秋の境目だと思いながら2時間ほど草刈りをする。自分の暮らしのやること為すことが、自嘲となり、草刈り機の震動と共に跳ね返ってくる。全部が全部、立派である必要はないのではないか。試された本当の瞬間、ある関係において……ある関係においてのみ、立派で正しくあればいいのではないか。もしそれが、本当の時間であったなら、どれだけ長い時間が経ったとしても、変化せず胸のなかに残り続けるだろう。この先幾度体験を重ねていったとしても、一切影響されず、より切実になっていくだろう。
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