茨城で嫁あざらし。今日はお彼岸なのでお団子を作った。お彼岸といえば「おはぎ」が正統なのかも知れないが、このお家のやり方は団子だそうだ。上新粉を熱湯で練って食べやすい丸い玉にする。玉の大きさやゆで時間、お供えの器の常識など、自分の実家でやっていた作法とはかなり違っている。いつまでも若いから何も出来ませんでは、日本に生れた甲斐がない。こちらの真剣なまなざしをよそに、おぬまお母さんは、大きいの、小さいの、実に無造作に丸めて、おいしそうにゆでていた。自分は日本古来の季節の行事に対してかなり苦手意識があり、もっと気負わずやってもいいのだろうが、身についていない借りものの心、という感覚は否めない。カレンダーは毎日見ているが、四季の微妙な変化となると、身体があまり気にしていないという事も何か関係あるのかも知れない。
……お線香と新聞紙でくるんだ花束を車につんで、近くのお墓へお参りに行く。草ぼうぼうの場所と人の手で土をむき出しにされた場所とが、市松模様のようになっている。お墓だけは人の家前を勝手に掃除する訳にはいかないらしい。死後も残された人と関係しつづけているようなこの場所だ。小沼家の墓を見上げると、背景が青い空だった。
考え事をしながら線香の束に火をつけたら、火がつきすぎて消えない。手が燃えるう。あわてて上下左右に振り回し、事なきを得た。
……お線香と新聞紙でくるんだ花束を車につんで、近くのお墓へお参りに行く。草ぼうぼうの場所と人の手で土をむき出しにされた場所とが、市松模様のようになっている。お墓だけは人の家前を勝手に掃除する訳にはいかないらしい。死後も残された人と関係しつづけているようなこの場所だ。小沼家の墓を見上げると、背景が青い空だった。
考え事をしながら線香の束に火をつけたら、火がつきすぎて消えない。手が燃えるう。あわてて上下左右に振り回し、事なきを得た。
PR