親しい友人から電話。今日は会いに行く事になった。電車を乗り継いで彼女の住むH町へ向かう。彼女は前回会った時よりさらに柔和な目をしていて、総じて上向きに生活が改善されていた。あの極彩色の悪夢の話は聞かれない。彼女とふざける些細な遣り取りが本当に嬉しい。
神様がいるかどうか判らないけれど、神様はその人の解ける分量しか宿題を持たせないのかも知れない。無限に謎を解けと言っているのではなく、一人一人、バラバラの分量の宿題を持たせて、この世に送り出すのかも知れない。
字の世界の簡潔さや清潔さに比べて、現実のこのどうしようもなさといったら、どうだろう。それらの問題は互いに絡み合い、まるで互いを必要とするかのように深く入り組んでいて、決して美しい解を見いだす事が出来ない。ある者にとっての解がある者にとっての障害である。皆の願いは折り合わない。それどころか、反感それ自体が生の躍動感にすらなっている。欠けていること、うまくいかないことが世界を回転させる動力となっている。
私は沢山の宿題を抱えたまま、迷いつつ、行きつ戻りつ暮らしている。今日の宿題だけはかろうじて解けた。彼女の笑顔が私の答え。
神様がいるかどうか判らないけれど、神様はその人の解ける分量しか宿題を持たせないのかも知れない。無限に謎を解けと言っているのではなく、一人一人、バラバラの分量の宿題を持たせて、この世に送り出すのかも知れない。
字の世界の簡潔さや清潔さに比べて、現実のこのどうしようもなさといったら、どうだろう。それらの問題は互いに絡み合い、まるで互いを必要とするかのように深く入り組んでいて、決して美しい解を見いだす事が出来ない。ある者にとっての解がある者にとっての障害である。皆の願いは折り合わない。それどころか、反感それ自体が生の躍動感にすらなっている。欠けていること、うまくいかないことが世界を回転させる動力となっている。
私は沢山の宿題を抱えたまま、迷いつつ、行きつ戻りつ暮らしている。今日の宿題だけはかろうじて解けた。彼女の笑顔が私の答え。
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昔、小学校3年生の時、弟達とカンフーの練習ばかりしていた。長い棒を振り回して本気で闘ったり、水の中で何分我慢できるか耐えたりした。高い所から飛び降りる訓練の時は私も参加し、両膝が一週間くらい痛んだが、あれはおそらくみんな怪我をしていたのだろう。
そして私は、親に内緒で鎌を二丁持ち出したことがある。刃が錆びていて納戸の片隅に放置されていたものだ。私はそれを両手に持つと、カンフーしてる顔で勢いよく振り回した。恍惚の表情で振り回す私を制止する者は誰もいなかった。振り回して、二、三回大きく縦回転をさせたところで、鎌は私の右足のすねに突き刺さった。
あまりの痛さで動くことも出来なかった。肉にくいこんだ刃をようやく抜き取ると、すねには巨大な凹みが出来ていた。私は傷を手で押さえながらうめいた。親に鎌を持ち出した事がバレたら、絶対殺されると思った。怪我をしたことは誰にも言えなかった。
そして翌日、学校から帰ってきた私はリベンジしようと決意した。昨日の鎌を手に持つと、勢いよく振り回した。鬼気迫る表情で鎌を振り続けること30秒、縦回転をさせたところで、鎌は再び私の右足のすねに突き刺さった。
二回目は、前回の傷から位置が少しずれていた。……25年後の現在もあの痛さを覚えている。7歳の娘の足はつるつるに綺麗だ。私は鎌で作った二つの傷をいまだに足に残している。あまり親には内緒事を作らず、女の子らしい子に育って欲しいと願う。
そして私は、親に内緒で鎌を二丁持ち出したことがある。刃が錆びていて納戸の片隅に放置されていたものだ。私はそれを両手に持つと、カンフーしてる顔で勢いよく振り回した。恍惚の表情で振り回す私を制止する者は誰もいなかった。振り回して、二、三回大きく縦回転をさせたところで、鎌は私の右足のすねに突き刺さった。
あまりの痛さで動くことも出来なかった。肉にくいこんだ刃をようやく抜き取ると、すねには巨大な凹みが出来ていた。私は傷を手で押さえながらうめいた。親に鎌を持ち出した事がバレたら、絶対殺されると思った。怪我をしたことは誰にも言えなかった。
そして翌日、学校から帰ってきた私はリベンジしようと決意した。昨日の鎌を手に持つと、勢いよく振り回した。鬼気迫る表情で鎌を振り続けること30秒、縦回転をさせたところで、鎌は再び私の右足のすねに突き刺さった。
二回目は、前回の傷から位置が少しずれていた。……25年後の現在もあの痛さを覚えている。7歳の娘の足はつるつるに綺麗だ。私は鎌で作った二つの傷をいまだに足に残している。あまり親には内緒事を作らず、女の子らしい子に育って欲しいと願う。
二週間に一度位、親しい友人から電話がかかってくる。彼女の近況報告と、悩み相談を受け、場合によってはその日のうちに会いに行く。ここ数年、友人は幻聴と幻視に苦しんでいたが、今は回復中で元気で暮らしている。今日は雑談だけで電話を切った。
数ヶ月前、この友人の付き添いとして初めて精神科に行き、彼女の担当医と会ってきた。つくづく思うに、人間の心くらいどうにでも変化するものはないと思う。それは友人もそうだし、サポートに回る自分自身もだ。専門知識を持たない善意の他人がボランティア精神で格闘し、力尽きていく事は実にありふれた光景らしい。専門職ではない自分も出来ることが限られている。それは友情の目方、と呼んでもいいだろう。
私は友情の限界を知って目方以上の行動はとらないと決めている。ここ数年彼女と共に過ごした事で出来てきた自然な流儀だ。他人の心の中心部分は、その人本人しか触われない冷たさで出来ている。「他」という感覚は私にとっては異質で凍り付くような場所だ。数々の修羅場の中で、私は自分が自分の背負える以上のものを背負っていなかったか思い知らざるを得なかった。また彼女は、そんな未熟な私でも必要としてくれた。
それにしても女医は凄かった。白衣も着ずに座っていて、鉄面皮のように友人の話を無表情で受け止めていた。勿論、職業上必要な冷静さではあるのだろうが、朝から晩まで予約で一杯の診察室で、果てしなく続く患者の訴えを次から次へと処理していく過酷な日常がしのばれた。ここまで訓練するのにどんなにか大変だったろうか。
帰り道、はっきりと考えた。私は答えも知らないのに友情を維持している。
友人は自分の近況を細かく報告してくれる。もう腐れ縁だと観念しているので、彼女の調子が下にさがっていると私も凹むし、もうお互いの幸福に辿り着くまで、長年付き合っていく相手だろう。運命共同体だと思っている。
私はあの女医を時々思い出す。そして私は友情の目方を時々握ってみて、やはり重さがあり、限りがあることを確認する。それは今日のようなささいなやりとりで日々重さを増している。
数ヶ月前、この友人の付き添いとして初めて精神科に行き、彼女の担当医と会ってきた。つくづく思うに、人間の心くらいどうにでも変化するものはないと思う。それは友人もそうだし、サポートに回る自分自身もだ。専門知識を持たない善意の他人がボランティア精神で格闘し、力尽きていく事は実にありふれた光景らしい。専門職ではない自分も出来ることが限られている。それは友情の目方、と呼んでもいいだろう。
私は友情の限界を知って目方以上の行動はとらないと決めている。ここ数年彼女と共に過ごした事で出来てきた自然な流儀だ。他人の心の中心部分は、その人本人しか触われない冷たさで出来ている。「他」という感覚は私にとっては異質で凍り付くような場所だ。数々の修羅場の中で、私は自分が自分の背負える以上のものを背負っていなかったか思い知らざるを得なかった。また彼女は、そんな未熟な私でも必要としてくれた。
それにしても女医は凄かった。白衣も着ずに座っていて、鉄面皮のように友人の話を無表情で受け止めていた。勿論、職業上必要な冷静さではあるのだろうが、朝から晩まで予約で一杯の診察室で、果てしなく続く患者の訴えを次から次へと処理していく過酷な日常がしのばれた。ここまで訓練するのにどんなにか大変だったろうか。
帰り道、はっきりと考えた。私は答えも知らないのに友情を維持している。
友人は自分の近況を細かく報告してくれる。もう腐れ縁だと観念しているので、彼女の調子が下にさがっていると私も凹むし、もうお互いの幸福に辿り着くまで、長年付き合っていく相手だろう。運命共同体だと思っている。
私はあの女医を時々思い出す。そして私は友情の目方を時々握ってみて、やはり重さがあり、限りがあることを確認する。それは今日のようなささいなやりとりで日々重さを増している。
こんにちは。初めての方ははじめまして、北海のあざらしです。
平凡なる主婦の日記ゆえ、平凡な日記になると思いますが、お暇な方はどうぞ覗いていって下さい。
以前の「オズ日記」では3人交代制という珍しい形式で日記を発表していたのですが、今回はひとりで再開しました。理由は、毎日更新したいと考えたからです。タールマンとカッツ氏とのオズ日記(小文字のatk)を楽しんで下さった方にはきっと物足りないと思うのですが、とにかく更新だけはこまめにするつもりですので、どうかお許し下さい。
三本指というのは、
3人で書いてた日記の続編だから。
今、あざらしの実年齢が33歳だから。
おぬまさんに「あざらしは妖怪人間のくせに人間を仲間だと思ってる」と言われ、ショックで一晩眠れなかったから。
その妖怪ベムの指の数が三本だから。
というのが由来です。これからよろしくお願いします。