風のない日、12月。
朝、相棒に細かい修正箇所を指摘してもらい、無事に発注元の方に届けることが出来た。昼間からお酒を飲んで、夕方にやる気がなくなり、夜はまた別のお酒を飲んだ。嬉しかったというよりは、終わったという心の区切りをつけたいのだ。日常と空想は地続きのようでいて、どこかで崖みたいに切れている。目をつむって、崖のぎりぎりまで歩いていく人みたいだ。だから幸福な空想でなければならないのだ。空想を玩具にして、ご飯の種にして暮らそうとしたら、必ずつけを払うのだと思わずにはいられない。
普段お酒は飲まないけれど、今日は大分飲んだ方だと思う。娘と相棒とで久しぶりにまともな夕飯を囲んで、心からぼーっとした。
朝、相棒に細かい修正箇所を指摘してもらい、無事に発注元の方に届けることが出来た。昼間からお酒を飲んで、夕方にやる気がなくなり、夜はまた別のお酒を飲んだ。嬉しかったというよりは、終わったという心の区切りをつけたいのだ。日常と空想は地続きのようでいて、どこかで崖みたいに切れている。目をつむって、崖のぎりぎりまで歩いていく人みたいだ。だから幸福な空想でなければならないのだ。空想を玩具にして、ご飯の種にして暮らそうとしたら、必ずつけを払うのだと思わずにはいられない。
普段お酒は飲まないけれど、今日は大分飲んだ方だと思う。娘と相棒とで久しぶりにまともな夕飯を囲んで、心からぼーっとした。
小学校の作品展示会、家族3人で一時間ほど出かける。画、ステンドグラス、刺繍、粘土細工など全校生徒分の作品が体育館を覆い尽くしていた。昨日家に籠もっていたせいか、配色の鮮やかさが目に眩しく、形の自由さが羨ましい程だった。3年生の家の娘は「見たことのない動物」という課題で、うみヅルという架空の鳥を作っていた。鶴の隣には、ドラゴンも蛇も猫もいた、地獄の草もいた、ひどく風変わりな人間もいた、見ていたら何故かなつかしい気持ちがした。
家に帰って仕事の続きをする。心の翻訳のように字を書くのではなく、画は画のままで直にやってみようかと思って、また少し進む。映画語と脚本語は別物なのだろうか。現場の混乱を呼ぶのは、一見よく出来た脚本でも脚本語で書かれたものがあるからではないだろうか。なんとなく判ったけれど、力が続かない。これが終わったら沢山勉強しよう。
家に帰って仕事の続きをする。心の翻訳のように字を書くのではなく、画は画のままで直にやってみようかと思って、また少し進む。映画語と脚本語は別物なのだろうか。現場の混乱を呼ぶのは、一見よく出来た脚本でも脚本語で書かれたものがあるからではないだろうか。なんとなく判ったけれど、力が続かない。これが終わったら沢山勉強しよう。