胃が痛いのか、心臓が痛いのか、体の中心部が痛みだしてから一ヶ月くらいになるだろうか。袋に金貨を隠しているみたいに、たえずお腹をさすっている。痛いうちは頭がしゃんとして、考えようによっては時間を有意義に使えるのだから、いいのかも知れない。
精一杯、あちこちの義理を果たそうと思うが、いい人だったけど死んじゃったね、と死後に言われそうな位、最近は角がなくなってしまった。いい人になれた所で、何の益があるだろう。悪い奴の便利ということで、本当にそれ以外意味はないと思う。弱い人といい人は混同されやすい。弱さを人に誇る事もまた、同じように意味のないことだ。
美しい世界と反転してすぐ真隣に、この持ちきれない世界があるようで、道ばたのアスファルトを突き割って生える草にも、靴の裏で踏んでいくのが、怖ろしい気がする。
精一杯、あちこちの義理を果たそうと思うが、いい人だったけど死んじゃったね、と死後に言われそうな位、最近は角がなくなってしまった。いい人になれた所で、何の益があるだろう。悪い奴の便利ということで、本当にそれ以外意味はないと思う。弱い人といい人は混同されやすい。弱さを人に誇る事もまた、同じように意味のないことだ。
美しい世界と反転してすぐ真隣に、この持ちきれない世界があるようで、道ばたのアスファルトを突き割って生える草にも、靴の裏で踏んでいくのが、怖ろしい気がする。
昨夜、茨城に着く。今朝おぬま弟さんの第一子誕生のお祝いがあり、茨城の家に親戚の方が大勢集まった。手作りのお赤飯、漬け物、お茶菓子などをテーブルに並べる。わたしも早起きして天ぷらを揚げた。お客さんに天ぷらを出すなんて、不安で震えあがったが、煮えたぎる油を凝視しながら、日頃の研究の集大成だ、ピンチはチャンスだ、天ぷらの心を読むんだ、と思う。天ぷらが暑がっている。今だ。丁度いい頃合いにサッと揚げて、義母を安心させることが出来た。
大勢のお客さんを迎える機会は、いい勉強になっている。お茶淹れ、挨拶の仕方など、人前でやってみると、出来る事と出来ない事の差がはっきりする。毎日を大切に暮そう。そうして、試練の時間を落ち着いて迎えよう。
夜に書き仕事。明日は本当に正念場だ。
大勢のお客さんを迎える機会は、いい勉強になっている。お茶淹れ、挨拶の仕方など、人前でやってみると、出来る事と出来ない事の差がはっきりする。毎日を大切に暮そう。そうして、試練の時間を落ち着いて迎えよう。
夜に書き仕事。明日は本当に正念場だ。