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人間になればよかった...
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朝、相棒と電車を乗り継いで、S駅の映画専門学校へ行く。学生の作った実習映画を観に行った。講師の付き添いのない、全部自分たちで責任をとる初めての作品だそうだ。相棒や私が関わった訳ではないけれど、ゼミ長が私達の映画を観に来てくださいと連絡をくれたのだった。本当に嬉しくて、目をしっかり開けてもらさず観ようと思った。
作品は学生のオリジナルで、道端で野糞をする青年と、それをボコボコに殴って制裁する正義の仮面の、現実と夢の交差したシニカルなものだった。正義とは一方的に独善を振りかざすこと、と結論づけて、そこらへんの通行人に胴上げされて映画は終わるのだが、不条理感も、カタルシスも、寂しさもなかった。先入観なく眺めていたなら、私はこの映画をきっと不気味に感じたと思う。
気が付いたことが二つあった。監督のUくんはたぶん映画を手本にして映画を作っていなかった。紙の漫画や音の音楽と同系列で、画でストーリーを並べていた。もう一つ、この映画はたぶん正義論ではない。もとは正義論であったものが表現者論へとすり替わっていったのだろう。優れた表現者に対する敬意や羨望があり、それを思うことが現状の自分の卑小さへと直接繋がっている。そういう別の話のラインが混ざった。だから、正義の話としてなら不気味でも、表現者になる覚悟としてなら、なんとなく意が伝わった。
実際はどうだったのだろうか。Uくんとゼミの皆の健闘を心から祈っている。
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徹夜して朝帰ってくる筈の相棒が、朝も昼も戻ってこない、深夜にやっと帰ってきて、ぎらぎらした目でアイスクリームを食べている。ONのスイッチが入ったまま、切れないのだろう。
わたしはここ数日、人のためにも、仕事のためにも、何にもなっていない。知らない内に、悪いことをしていた。お疲れさまの声をかけて、熱いお茶を沸かした。
子供が、夜に泣いて、一緒にいて、という。つまり寝かされたのは親のわたしの方で、もう太陽が昇ったあとの早朝に寝ぼけ眼でつける日記は、その日更新とは呼べないかも知れない。しかし、いかなる超法規的手段を使っても、この作業を続けようと思う。
N町駅の親しい友人から一ヶ月半ぶりにメールが届いた。暮らしが安定したことを示す内容だったので、ほっとした。自分が丁度よい距離にいるのか、あるいは彼女に遠ざけられているのかは判らない。連絡の文面も以前とは調子が違っている。とにかく、わからない領域まで心配するのは止めよう。人は人が変化する瞬間を決して他人に見せないのだと知る。
新しい仕事を始めることになるかも知れない。今いるこの場所で一生懸命やろう。植木に水をやりながらそう思う。
実際に動き、考えて、微調整をつづけることが、一番むつかしい。相手のコンディションも毎日変わる、昨日通じた正解が、今日も正解だとは限らない。その都度、その都度、違う明日になっていく。
自分で工夫しなければ、何日経っても変化はないらしい。
茨城の夕暮れ、義母と娘がトランプで遊んでいる。ふたりは何の音も立てず、手元のカードを扇のように広げて向かい合っていた。
玄関に出ると、枝に、梅が白い花をつけている。冷たくなってきた風に吹かれて、寒そうな景色に見える。死んだ人が、石の上を歩いてきた。私の記憶のなかで一場面だけ再生されるその人の影は、当時と寸分違わぬ姿で何かを喋っている。その顔は装置の不具合で歪み、その声は古い状態のままで保存されている。その記憶装置は、今何の為に動きだし、何の為に、生きている私の現在の時間を、交差するのか知らない。
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