連絡担当の学生に電話をしてみると、気乗りのしない声で、脚本は昨日みんなで書き終わりました。今日T先生に渡して意見聞いてみます。えーとそっちにも一応FAX送った方がいいですかね。などと言う。指導は見事に失敗した。T先生に電話して、学生は先生を直接説得する作戦に出たようだから、自分は役に立てませんでした、と伝える。
先生は、とにかくもっと学生にガンガン当たって、うんと知恵を絞ってやってくれ、と言う。電話を切ってから、しばらく溜息ばかり出る。先生は刀鍛冶が鉄を打つように学生の頭を叩くやり方だ。絞りきらないと知恵は出ないと堅く信じている。それは実際その通りだ。ただ学生は叩かれるとやる気を無くす。自由にやれ、エネルギッシュにやれ、やりたいことをやれ、と言って動き出せる学生は、今は少数派だ。大半の学生は圧倒的な指導者の登場を待っている。自分達で考えて工夫をこらす道よりは、最初から秘訣を教えてもらいたがっている。
無名のおねーちゃんとしては、学生からお呼びでないと判断された以上、出来る事も別にないのだった。主婦仕事をこなして部屋を綺麗にしながら、FAXで次々と送られてくる原稿の紙を眺めた。
先生は、とにかくもっと学生にガンガン当たって、うんと知恵を絞ってやってくれ、と言う。電話を切ってから、しばらく溜息ばかり出る。先生は刀鍛冶が鉄を打つように学生の頭を叩くやり方だ。絞りきらないと知恵は出ないと堅く信じている。それは実際その通りだ。ただ学生は叩かれるとやる気を無くす。自由にやれ、エネルギッシュにやれ、やりたいことをやれ、と言って動き出せる学生は、今は少数派だ。大半の学生は圧倒的な指導者の登場を待っている。自分達で考えて工夫をこらす道よりは、最初から秘訣を教えてもらいたがっている。
無名のおねーちゃんとしては、学生からお呼びでないと判断された以上、出来る事も別にないのだった。主婦仕事をこなして部屋を綺麗にしながら、FAXで次々と送られてくる原稿の紙を眺めた。
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駅を歩く人を眺める。革靴を脱いで靴下を履いている人がいた。
バレエ教室では、いつものように服を着替えたり、お喋りしているお母さん友達がいて、自分は隅の方でタイツなど履く。最近どうですかーと、Eさんが声をかけてくれた。調子が悪い日が続きすぎて、なにがなんだか分かんない、と正直に打ち明けると、私もすっごい調子悪いの、と眉をしかめて言う。それが本当に調子悪そうな感じがにじみ出ていて、妙におかしくなって、なんだか今日は自然に踊れる気がした。
音楽が始まると、自分は踊りの奴隷になって、腕の角度や膝の向きの隙を追い出すことに夢中になった。時間は忘れる為にある。操作など計画するより忘れよう。鏡の隣ではEさんが美しい脚線を真直ぐに伸ばして踊っていた。少しも調子悪い感じなどしない。同じ仕草をしてふわりと下りた。
夕方、離婚に悩んでいたお母さん友達の娘さんを家で預かる。娘さんは自分のスカートの裾にすがるように甘えてくる。娘の見慣れた目とは違う、小さな瞳が茶色かった。夜にお母さん友達がお迎えに来る。明るくなっているのが嬉しい。細々とした日常の話をして、笑い話になって別れる。
バレエ教室では、いつものように服を着替えたり、お喋りしているお母さん友達がいて、自分は隅の方でタイツなど履く。最近どうですかーと、Eさんが声をかけてくれた。調子が悪い日が続きすぎて、なにがなんだか分かんない、と正直に打ち明けると、私もすっごい調子悪いの、と眉をしかめて言う。それが本当に調子悪そうな感じがにじみ出ていて、妙におかしくなって、なんだか今日は自然に踊れる気がした。
音楽が始まると、自分は踊りの奴隷になって、腕の角度や膝の向きの隙を追い出すことに夢中になった。時間は忘れる為にある。操作など計画するより忘れよう。鏡の隣ではEさんが美しい脚線を真直ぐに伸ばして踊っていた。少しも調子悪い感じなどしない。同じ仕草をしてふわりと下りた。
夕方、離婚に悩んでいたお母さん友達の娘さんを家で預かる。娘さんは自分のスカートの裾にすがるように甘えてくる。娘の見慣れた目とは違う、小さな瞳が茶色かった。夜にお母さん友達がお迎えに来る。明るくなっているのが嬉しい。細々とした日常の話をして、笑い話になって別れる。
世界で哀しいニュースは絶えないが、今日は朝早くからお昼まで家の掃除をしていた。今出来ることをして暮らしている。目に映ること全てが、おまえそれでいいのかと問いかけてくる。どうしろと?目の前の冷蔵庫を相手に独り言を言ってみるが、返事はない。掃除を愛しすぎてはいけないと自戒する。埃には暮らしの悲しさが含まれている。あまり綺麗にしすぎるものではない。
電車に乗ってI駅に行く。最近は一日の時間が随分長くなったように感じる。時計の針の角度は、延びたり縮んだりしてあてにならない。そのかわり、考えても判らない事がさらに増えた。
携帯で学生と連絡をとりあう。映画学校で打ち合わせする予定を取り止める。学生に出来る限りの対応をとったけれど、脚本チームはT先生に2稿目を蹴られた。3稿目辺りからはいよいよ苦しくなるだろう。講師の真似事などする気は毛頭ない。T先生がかきまわすなら、私はまともでない味のカクテルを作り返すのみ。
おぬまさんが苦しい仕事を続けている。寝ていない相棒を見るのは自分もつらい。娘が楽しく育っている。この家族を支えて、実際に手を動かして暮らしていくのだ。おまえそれでいいのかと問いかける洗濯機。
わかりません。ただゆくだけです。
電車に乗ってI駅に行く。最近は一日の時間が随分長くなったように感じる。時計の針の角度は、延びたり縮んだりしてあてにならない。そのかわり、考えても判らない事がさらに増えた。
携帯で学生と連絡をとりあう。映画学校で打ち合わせする予定を取り止める。学生に出来る限りの対応をとったけれど、脚本チームはT先生に2稿目を蹴られた。3稿目辺りからはいよいよ苦しくなるだろう。講師の真似事などする気は毛頭ない。T先生がかきまわすなら、私はまともでない味のカクテルを作り返すのみ。
おぬまさんが苦しい仕事を続けている。寝ていない相棒を見るのは自分もつらい。娘が楽しく育っている。この家族を支えて、実際に手を動かして暮らしていくのだ。おまえそれでいいのかと問いかける洗濯機。
わかりません。ただゆくだけです。
B先生は、色々なことを教えてくれる。今日は二度目のストレッチ教室に参加してきたのだが、教室が終わったあと、先生は摩訶不思議なものを私にくれた。
用途は無限。掃除、消臭、美容、健康、植物の栄養にもなるし、ペットや金魚の体も丈夫にする「魔法の水」。テレビやラジオで度々取り上げられているそうだけど、自分は全く目にしたことがなかった。えひめAI、という名前がついていて、愛媛県の川を浄化する為に研究者が地道に開発したものだそうだ。
原材料は、砂糖とイースト菌とヨーグルトと納豆を、それぞれごく少量、あとは水。混ぜて一週間で出来るというしごく簡単な作り方で、話だけ聞くと後ずさりしたくなる水である。とにかく使ってごらんということで、ペットボトル1本分の水をもらって帰ってきた。
スプレー容器で台所の壁に吹きかけると、少しむせる。リンゴ酢にも似た匂い。不安になるが、しばらくして布巾で拭いてみた。洗浄能力はまるで期待していなかったのだが、ところがさっぱりと汚れが落ちてしまった。狐につままれたようだ。水回りの雑菌がいそうな所を綺麗にするのが上手な水だ。お風呂のカビや水垢がとれる。洋服のお洗濯も出来る。ガラスもピカピカになる。使用後に排水溝を通った水はさらに川や海を浄化するそうだ。とにかく驚くことばかりだ。この手のものには懐疑的な自分だったので、ちょっとショックだった。
研究者の方はあえて特許を取っていない。非常に地味な試みでありながら、素晴らしい発明だと思い、胸うたれた。
えひめAI、でネットで検索したら詳しい事がどこかで紹介されているだろうと思う(多分)。物凄くいいものだと実感したので、誰かの役に立つこともあるかなと思い、日記に書き記した。
用途は無限。掃除、消臭、美容、健康、植物の栄養にもなるし、ペットや金魚の体も丈夫にする「魔法の水」。テレビやラジオで度々取り上げられているそうだけど、自分は全く目にしたことがなかった。えひめAI、という名前がついていて、愛媛県の川を浄化する為に研究者が地道に開発したものだそうだ。
原材料は、砂糖とイースト菌とヨーグルトと納豆を、それぞれごく少量、あとは水。混ぜて一週間で出来るというしごく簡単な作り方で、話だけ聞くと後ずさりしたくなる水である。とにかく使ってごらんということで、ペットボトル1本分の水をもらって帰ってきた。
スプレー容器で台所の壁に吹きかけると、少しむせる。リンゴ酢にも似た匂い。不安になるが、しばらくして布巾で拭いてみた。洗浄能力はまるで期待していなかったのだが、ところがさっぱりと汚れが落ちてしまった。狐につままれたようだ。水回りの雑菌がいそうな所を綺麗にするのが上手な水だ。お風呂のカビや水垢がとれる。洋服のお洗濯も出来る。ガラスもピカピカになる。使用後に排水溝を通った水はさらに川や海を浄化するそうだ。とにかく驚くことばかりだ。この手のものには懐疑的な自分だったので、ちょっとショックだった。
研究者の方はあえて特許を取っていない。非常に地味な試みでありながら、素晴らしい発明だと思い、胸うたれた。
えひめAI、でネットで検索したら詳しい事がどこかで紹介されているだろうと思う(多分)。物凄くいいものだと実感したので、誰かの役に立つこともあるかなと思い、日記に書き記した。
北海道の叔母さんが東京に来ていて、会ってお茶でも飲もうよというので、東京見物の大本命、A駅の雷門前で待ち合わせる。滅多に来る事のない観光地なので、見るもの聞くものどこか楽しい。
叔母さんとお友達の方は二人旅で、着物の着付け全国大会に出場した帰りだった。着付けの技術を競う場がある事も知らなかったし、全国大会というからには二人とも上手なのだろう。何を審査されたの、と聞くと、着せ付ける時の所作や帯の形状などに腕の差が出るのだそうだ。耳で聞いてもイメージが湧かない。参加した者にも判断がつかない微差の世界だそうだ。ちなみに二人は普通の順位だったと恥ずかしげに笑っていた。
二人と別れた後、少々退屈がっていた娘をお寺見物に連れ出すことにした。外国人の観光客でごった返す中、娘の柔らかい餅のような手を握って歩く。Tシャツ、キーホルダー、お煎餅、縮緬の財布、扇子。いかがわしい玩具の類を娘は幾ら見ても見飽きないらしい。お寺のご本尊様に挨拶したあと、階段に座って景色を眺めた。揚げまんじゅうを頬ばる娘は、すっかりこの不思議な場所が気に入ったようだった。
帰り道、娘がおみくじを引く。最後に悪いヤツを一発引いてしまうパターンになる気がして薄目でこわごわ読んでやると、大吉だった。「願望:叶うでしょう。病気:治るでしょう。失物:見つかるでしょう。待ち人:現れるでしょう。新築引越:良いでしょう。縁談付き合い:全て良いでしょう。旅行:問題ないでしょう」……大吉って、本当にいいことしか書いてなかった。
叔母さんとお友達の方は二人旅で、着物の着付け全国大会に出場した帰りだった。着付けの技術を競う場がある事も知らなかったし、全国大会というからには二人とも上手なのだろう。何を審査されたの、と聞くと、着せ付ける時の所作や帯の形状などに腕の差が出るのだそうだ。耳で聞いてもイメージが湧かない。参加した者にも判断がつかない微差の世界だそうだ。ちなみに二人は普通の順位だったと恥ずかしげに笑っていた。
二人と別れた後、少々退屈がっていた娘をお寺見物に連れ出すことにした。外国人の観光客でごった返す中、娘の柔らかい餅のような手を握って歩く。Tシャツ、キーホルダー、お煎餅、縮緬の財布、扇子。いかがわしい玩具の類を娘は幾ら見ても見飽きないらしい。お寺のご本尊様に挨拶したあと、階段に座って景色を眺めた。揚げまんじゅうを頬ばる娘は、すっかりこの不思議な場所が気に入ったようだった。
帰り道、娘がおみくじを引く。最後に悪いヤツを一発引いてしまうパターンになる気がして薄目でこわごわ読んでやると、大吉だった。「願望:叶うでしょう。病気:治るでしょう。失物:見つかるでしょう。待ち人:現れるでしょう。新築引越:良いでしょう。縁談付き合い:全て良いでしょう。旅行:問題ないでしょう」……大吉って、本当にいいことしか書いてなかった。
こつこつと学生の原稿に手を入れてみる。書き慣れていない人の脚本の意図を読み解く作業は造作ない。凄い作家になってくるにつれて、こちらの頭をかき回される気がしてくる。脚本も、紙切れではなく人体の一部ではないかと疑っている。
朝は少し寝過ごした。起きても頭痛が残っている。居間の片隅で水音をたてているメダカの水槽を覗きこむと、透明な体が徐々に育ってきて、小さいくせにメダカの形そのものになっていた。数えてみると20匹は孵った様子。ずっと水槽で飼うつもりだから、この透明な軍団は外敵と一度も出会ったことのない、人生ならぬ魚生を送ることだろう。考えようによっては羨ましいし、退屈なことだ。当人ならぬ当魚は、私達人間のことをガラスの奥で割り箸を差し込んだり、水を足したりしている様子を、自然そのものだと思っているのだろうか。
そんなことを考えたのは、学生の脚本を読んだからなのかも知れない。私が出会った学生さん達の脚本には、外敵を待っている、そういう意図に読み解かれる作品が多く書かれているのだった。
お昼に東京に戻る。本屋で娘の好きな漫画を買い、鯛焼きを買い、自宅に駆け足で帰る。「この本を読んで待ってるんだよ。鍵をかけてしまうから、勝手に外に出てはいけないよ。2時間で帰ってくるよ」七歳の娘はごきげんで手をふる。留守番をしてもらう時は不安になる。子供を一人で家に残すのはまだ心配な歳だが、どうにも仕方がない。電車を乗り継いで夕方、S駅で映画学校の学生さん達と合流する。日曜の喫茶店はどこも満員だったので、不良のように道ばたにしゃがみこんで、脚本の細部について考えるままに皆で意見交換する。
大幅に帰り時間をオーバーした後、自宅へ戻る。娘が飛びついてくる。毎日を考え続ける。それだけが全てのバラバラのピースを繋ぐ唯一の道だと信じる。
朝は少し寝過ごした。起きても頭痛が残っている。居間の片隅で水音をたてているメダカの水槽を覗きこむと、透明な体が徐々に育ってきて、小さいくせにメダカの形そのものになっていた。数えてみると20匹は孵った様子。ずっと水槽で飼うつもりだから、この透明な軍団は外敵と一度も出会ったことのない、人生ならぬ魚生を送ることだろう。考えようによっては羨ましいし、退屈なことだ。当人ならぬ当魚は、私達人間のことをガラスの奥で割り箸を差し込んだり、水を足したりしている様子を、自然そのものだと思っているのだろうか。
そんなことを考えたのは、学生の脚本を読んだからなのかも知れない。私が出会った学生さん達の脚本には、外敵を待っている、そういう意図に読み解かれる作品が多く書かれているのだった。
お昼に東京に戻る。本屋で娘の好きな漫画を買い、鯛焼きを買い、自宅に駆け足で帰る。「この本を読んで待ってるんだよ。鍵をかけてしまうから、勝手に外に出てはいけないよ。2時間で帰ってくるよ」七歳の娘はごきげんで手をふる。留守番をしてもらう時は不安になる。子供を一人で家に残すのはまだ心配な歳だが、どうにも仕方がない。電車を乗り継いで夕方、S駅で映画学校の学生さん達と合流する。日曜の喫茶店はどこも満員だったので、不良のように道ばたにしゃがみこんで、脚本の細部について考えるままに皆で意見交換する。
大幅に帰り時間をオーバーした後、自宅へ戻る。娘が飛びついてくる。毎日を考え続ける。それだけが全てのバラバラのピースを繋ぐ唯一の道だと信じる。