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人間になればよかった...
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また一つ、見知らぬ場所で恥を重ねていた。頭のなかを星が飛び散った。自分の発言の責任はとろうと、溜息ばかりつく。
今日、尊敬するバレエ講師の方のブログを拝見していたら、どこかで見たことのある文章が現れた。以前、悪魔の堅い靴について書いた自分の文が、少しだけ変えてはあったが、ほぼ同内容で掲載されていた。「トウシューズの中の足はどうなっているかと言うと、私も知らなかったのだが、指がピーンと伸びている。ではどこで立っているのかと言うと、トウシューズの前後の固い板に足が挟まっている」上記の文章が突然現れた。いきなり貼られていた。とても驚いた。勿論、無知の見本として。
今夜は星空だなあ。(逃避するな)。バレエを愛し学ぶ方達から、バレエの正しい知識を世に発信しているのか、そういう発言者としての資格を問われていた事は、想定していなかった。
悪魔の堅い靴、などと書き記す私のような素性は一目で直ぐ判るだろうから、専門の方に迷惑はかけなかったと思うし、スリッパを実際に紐でまきつけて怪我した方もいないだろう。ただ色々な方が読むから、バレエに関する誤解の種を世間に発信しないよう、それだけは今後、細心の注意を払いたい、と静かに眼をとじた。
《※あの靴は足指、足裏、甲など、複数の要素が絡んで正しく立つ事が初めて可能になります。6月20日付の日記は極端に誇張されていますので、詳しく知りたい方はバレエ専門のページを覗かれる事をお薦めします。それからトゥシューズ以外の靴で立つ話はすべて冗談です。もし試した方がいたら、私のあんこ頭と同類です。あなたもモナカの仲間だ!》
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朝に身支度をして、早足で家を出る。学芸会のリハーサル風景を取材しに行く。
学校新聞の一面トップに載せる予定になっている。小学校の鉄門を開け、腕章をつけながら体育館へ行くと、中では先生達の怒号が飛び交っている。本番を明日に控えているせいだとは思うが、保護者がいない時の先生達は結構きつい言葉を使う。子どもの頃を思い出して自分まで身がすくんだ。
舞台は全学年を見学した。どの学年も主役は複数で交代制となっていて、その他大勢の役も台詞が一つずつは作られているのが印象的だ。今風だと思う。観ていると涙がでてくる。人を泣かせるのは簡単なんだと思う。棒読みの台詞、単なる素人である子どもたちの芝居でも、自分は涙をこぼしてしまう。素直というのはかけがえのない美点だ。子どもの光は大変にまぶしい。プロの脚本の仕事とは、どういうことなのかを自問する。今の自分の心が、学芸会に参加する子どもの心に未だ満たないなら。
お昼休憩をはさんで、午後まで延々とメモを取りながら観続けた。全学年が終わると、子供たちは惜しげもなく解散して、思い思いにお喋りしながら教室へ戻っていった。衣装を着た子どもたちがどかどかと隣を通る時、俳優とすれ違ったような気持がした。
家で過ごしている時、隙あらばストレッチをしている。週3回レオタードを着る機会が出来て、洗濯が追いつかなくなった。新しいのを買おうかなと一人空想したり、これ以上家族へ迷惑をかけては、と我に返る。とっくに迷惑はかけているのだ。部屋掃除が手抜きになる。ご飯がお粗末になる。いつでもどこでも居眠りするようになる。身体が出来ること以上の気力を要求してくるみたいだ。
今日もストレッチ教室でB先生の指導を受けた。もう週に2回通うようになるかも知れないと思う。I駅の教室と足すと、週に3回。さすがにそこまで行くと、まずいかと思う。
今日の教室では10人ほど生徒さんが来ていたので、両手を伸ばすスペースもなかった程だった。他の方にぶつからないよう気をつけても、足と足がぶつかった。それでも楽しい。何をどう失敗しても、この楽しさには他に替わるものがない。
家にある未読の本を読みながら、片手間に体操している。勉強も楽しい。運動も楽しい。今日は何をしてもやり甲斐を感じた日。
近所のストレッチ教室へ歩いていく。通り道の原っぱに、先週見かけた蝶がどうなったか気になって、なんとなく見る。僅かに、2匹だけ見つけた。
時間は平たいのではなく、むらむらと凹凸があるように思える。密度の濃い時間には全力であたり、そうでない時間にはきちんと休憩を取らなければいけない。膨大な待ち時間、と思えた問題は少し前進した。出した答えは、待ち時間は、きちんと待て。
B先生の指導で、普段使うことのない部位を意識しながら、無理をせずに伸ばしていく。身体の特定の場所に力を入れようとすると、その周辺もつられて動かしてしまう。力を抜くのは思っていたよりずっと難しい。いてて、と声が出る。子供の時から何十年も訓練を続けてきた人と、僅か3年ごとき習った程度の肉体で肩が並んだとしたら、神様はよほど不公平だ。大切なのは、自分が二度と繰り返されない事を身に染みて知ること、その方程式を他人にも代入することだと思う。
大きな鏡に、B先生を中心に、生徒さん達の動きが揃って映る。端に映っている自分もいた。左右反転した向こう側の世界。
午前中曇り空の予報だった筈が、かなり日差しが明るくなる。観葉植物の鉢植えに霧をかけて日向に並べていくと、良い光で植物たちも快適そうだ。小さな鉢を五つ置くと、密林のジャングルのように愛らしい。
文庫本「青春ピカソ」(岡本太郎著)を読み返しながら、記録映画「ミステリアスピカソ」(1956年制作)を観た。パンツ姿の老パブロ・ピカソが、惜しげもなく自分の制作の秘密をさらけ出して、すいすいすいすい書いている。映画上で完成された素晴らしい作品群は、一枚残らず破棄されたそうだ。勿論作品も凄いけれど、本人の在り方が作品よりすさまじい。この人には自分の筆跡を愛おしむ態度がひと欠片もない。対象は徹底的に破壊され尽くして、見ていても残酷な気さえする。確かにこれは天才のみに許された仕事で、普通の人の精神では耐えられる訳がない、とこの人が本物たる所以が腑に落ちた。
午後は、映画の印象を胸に浴びて、家事をしていても光を受けたように力が出てきた。何かしたくなって、机の読みかけの単行本数冊を集めて、平行して読んでみた。毎日少しずつ、卑下せずにやっていこう。植物のように外から光をもらっていこう。
読みかけの本を一冊断念した。何かを知れば知るほど、知る事は案外不便なことだと思えてきた。もうそれを捨ててしまうことは出来ないから。この先は自分のあんこ頭にふさわしいものを、丁寧に選んで暮らして行けたらと願う。絶望を記した読書の時は、量を制限しよう。自分が人を信頼して、明るく暮らす為の知識は簡単に失われる。信頼は、誤解なのかも知れないからだ。真実ばかりを食べていたら、私は簡単におかしくなってしまう。過去に無秩序に取り込まれた情報は、もう自分の許容量を超えている事ははっきりした。
曇天。日曜日の茨城は静か。今日は親メダカの水槽に、若者になった子メダカを2匹だけ入れてみた。前回、親が子を食べたので、いざとなったら子を救いだせるよう、網を用意して状況を見つめた。親メダカは一瞬、まじまじと我が子を眺めた後、ヒレで抱き合った。感動の再会だった。親は攻撃しなかった。子メダカは下の方を泳いでいる。
昼過ぎに特急電車に乗って東京へ戻る。ホームでおぬまお母さんが手を振っている。この生活がなるべく長く続けられるように。帰り道の駅の階段を上がると、雨がひとしきり降ってきた。娘と手をつなぐと、ぷにっと温かかった。ただこれだけでも、雨に感謝の気持が湧くというものだ。二人で走って歩道を渡ると、ちょうど青信号ばかりで嬉しかった。
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